【登場人物】
- 三芝電器産業 株式会社
- Reddy Electricals (照明・配線器具製造子会社) への出向者 (CEO)
狩井 卓郎 - Reddy Electricals (照明・配線器具製造子会社) への出向者 (営業管理担当役員)
小里 陽一 - Reddy Electricals (照明・配線器具製造子会社) への出向者 (生産管理担当役員)
伊達 伸行 - Reddy Electricals (照明・配線器具製造子会社) への出向者 (経営管理担当)
井上 淳二 - Reddy Electricals (照明・配線器具製造子会社) への出向者 (経理担当)
朝倉 俊造 - 佐世保電器 (三芝電器産業の系列販売店舗)
- 店主
岩崎 健一 - 旗艦店の店長
古賀 一作
(会社、業界、登場人物ともに架空のものです)
(前回までのあらすじ)
三芝電器産業の朝倉俊造はインドへの赴任を命じられた。1年半ほど前に買収したインドの照明・配線器具メーカー(Reddy Electricals)への出向である。
インド固有の課題に悩まされ、そして創業家側の旧経営陣との軋轢を生みながらも、朝倉の先輩である日本人出向者達は、生産革新や流通改革に矢継ぎ早に取り組んでいった。
朝倉の赴任も数カ月を過ぎた頃、インド全国への視察を終えた営業管理担当の小里陽一が本社に戻ってきた。そして小里のサポートを命じられた朝倉に対し、「代理店制度の廃止に加えて、抜本的な営業改革を断行したい」と言い放ち、朝倉にボード・ミーティング向けの企画書を作成させた。
苦労しながらも何とか企画書の承認を勝ち得た朝倉は、すぐに改革を走らせようとする。しかし三芝電器には直営営業所の営業ノウハウが存在しない。本社からのサポートを得られなかった朝倉は、新入社員当時に実習で派遣された故郷の諫早電器店に電話した。そして10年以上前に研修で世話になった店主から、県内で優秀系列店として有名だった佐世保電器店の岩崎を紹介された。岩崎は腹心の古賀を連れてムンバイの地に降り立った。そしてレッディ社の直営店舗に対する、岩崎と古賀からの非公式な教育が開始された。
そんなある日、本社に戻った朝倉は営業担当取締役である小里に声をかけられ、目下の営業改革について議論が始まった。議論は狩井宅での恒例の合宿議論に持ち越され、最終的に本社から投資を呼び込む手段としてコモンウェルス・ゲームズが活用されることになった。全員が一丸となり本社や関係会社との折衝に取り組んでいる中で、今度は製造管理担当の伊達から狩井に納入部品に関する問題提起がなされた。
日本では考えられないようなトラブルに日々見舞われていたが、狩井はじめ日本人駐在員は徐々にインドでのビジネスの手ごたえをつかみつつあった。そしていよいよ、新たな外部の血を取り込みながら、本格的なPMI=M&A後の経営改革の幕が切って落とされた。
イレギュラーな一時帰国
PMIが実施されている各国現場と日本の間には、なぜこんなにも埋めがたい距離が生じてしまうのか。PMIに面前している買収先駐在員と、本社から間接的にPMIに従事している従業員との精神的距離は、なぜここまで大きくなってしまうのか。朝倉はレッディ社での業務にいそしみながら、そんな状況を作り出した原因を日々考えていた。
そんなある日、レッディ社CEOである狩井が比較的長期にわたり日本に一時帰国した。普段、狩井が日本に戻るのは概ね3カ月に1回程度であり、役員会等への参加が目的のため滞在期間は短く、せいぜい3日程度だ。しかし今回の一時帰国は前回帰国から1カ月も経っておらず、しかも2週間と滞在期間も長い。
出発直前に予定を聞いた小里や伊達は、驚きつつ「何かの緊急対応ですか?」と狩井に尋ねた。しかし狩井はただ、「まあ、色々とやりたいことがあって」と言葉短く答えるだけであった。何かご家族絡みのことかもしれないと考え、2人もそれ以上のことを聞くことはしなかった。
間に挟まれ疲弊する駐在員
狩井が出発してからも、日本人駐在員は様々な改革施策の推進に日々追われた。相変わらず食は細くなるばかりで、赴任前に比べると5~6kgは体重が減っている。
毎日朝早くから数多くのローカル社員とコミュニケーションをし、矢継ぎ早に指示を出していく。そして日本側の多くの関連部署とのテレビ会議と電話会議をこなしていく。オフィスを出るのは早くても22時、0時近くなることも珍しくはない。そして翌朝も早朝から出勤だ。大渋滞を少しでも避けるという意味合いもあるが、日本との時差の関係で、朝7時からのテレビ会議も珍しくないからだ。
駐在員にとって、ローカル社員とのコミュニケーションよりも、現地の状況無視の時間軸で様々なことを要求してくる日本側とのコミュニケーションのほうが、より多くのストレスを感じていた。というのも、日本側は会社が定めたルールに基づいた「正当な」要求を出してくるので、何かを譲歩する気がないからだ。もちろん表面的には、上から目線で横暴に要望してくるというわけではない。コミュニケーションの端々には「現地は現地で色々とあって大変だろうし、同情はする」というものを見て取れる。しかし最後はいつも「同情するが、ルールなのできちんと対応して」というものだ。それが変わることはない。
日本人駐在員たちは、もはや諦めの境地であった。現地の状況を説明しても何かが変わるわけではなく、労力と精神力の浪費にしかならない。本社側の関連部署はどこまで行っても「何かを要求する立場」「報告を受ける立場」であり、自分たちのような「当事者」ではないのだ。駐在員たちは、面前するPMIの課題とローカル社員、そして日本側との間に挟まれて自らをすり減らしていた。
そんな中、狩井の一時帰国がそろそろ終わろうとしている頃、駐在員たちは日本側の姿勢にかすかな変化を感じた。
日本側の変化
「いや、まるで別人みたいなんだ。何か薬でも飲んで思考回路が変わったのか、