[視点]

2021年7月号 321号

(2021/06/15)

スピンオフを通じての新規事業創造

吉村 典久(大阪市立大学大学院経営学研究科 教授)
  • A,B,EXコース
1. はじめに

 日本企業の新規事業創造の重要な手段となってきたのが、既存企業の事業部門・単位のスピンオフ(分離独立、分社化)である。分離独立して成長、「上がり」とされてきた上場を果たし、少なからずが「子が親を越える」存在となってきた。「孫が子を超える」場合もあり、結果、親と子、時には孫のつながりのなかで企業(グループ)での事業ポートフォリオが再編されてきた。新規事業の孵化機能を果たしてきた。それと同時に、分離独立の元となった親会社による子会社(いわゆる「上場子会社」)のモニタリングは、メインバンクによるモニタリングと同様に日本の企業統治の特徴とも見なされてきた。
 ここでは、スピンオフを通じた新規事業創造の歴史を振り返り、現代の企業経営に通ずる示唆を模索していくこととする。

2. 鉱工業上位100社(1990年)におけるスピンオフ企業

 「子が親を越える」存在となるほどの会社は、総資産額で見たときの「1990(平成2)年鉱工業上位100社」の会社のうち、29社となる。100位までの会社のうち、独シーメンスとの合弁として設立された富士電機、そして戦後、第二会社として分離独立した日本電装(当時)はカウントしていない。これらを入れれば、30社超となる(なお、他者・他社の支援なども受けつつ、個人創業の形で設立された会社は56社であった)。この上位100社には、戦前あるいは戦後に設立され、高度・安定成長期を経てバブル期の末期、かつ、昭和から平成に変わった時期に日本を代表する会社が並んでいる。そのうち、

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