[特集インタビュー]

2019年2月号 292号

(2019/01/18)

岩田規久男 前日銀副総裁に聞く「デフレとの闘い、アベノミクスの今後」

――デフレ脱却のため、日銀は2%の物価安定が持続的になるまで、消費税増税凍結の協定を政府と結ぶことが必要

岩田 規久男(学習院大学名誉教授、前日本銀行副総裁)
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岩田 規久男(いわた・きくお)

岩田 規久男(いわた・きくお)

1942年生まれ。66年東京大学経済学部卒業。73年同大学院経済学研究科博士課程単位取得・満期退学。上智大学経済学部教授、学習院大学経済学部教授などを経て、83年に上智大学経済学部経済学科教授。98年に上智大学を退職後、上智大学名誉教授の称号を受け、学習院大学経済学部教授に就任。2004年サセックス大学社会学部客員研究員。04年から05年までオーストラリア国立大学アジア研究学部日本センター及び日豪研究所客員研究員。07年から08年まで学習院大学経済学部長。09年9月から10年5月までオタゴ大学経済学部客員研究員。10年6月からチュラロンコン大学経済学部客員研究員。13年3月末で学習院大学を退職。13年3月20日、日本銀行副総裁に就任。18年3月19日、日本銀行副総裁を退任。
著書:『入門経済学』(東洋経済新報社、1987年)、『インフレとデフレ-不安の経済学』(講談社〈講談社現代新書〉、1990年)、『ゼミナールミクロ経済学入門』(日本経済新聞社, 1993年)、『金融政策の経済学--「日銀理論」の検証』(日本経済新聞社、1993年)、『金融入門』(岩波書店〈岩波新書〉、1993年/新版, 1999年)、『経済学を学ぶ』(筑摩書房〈ちくま新書〉、1994年)、『国際金融入門』(岩波書店〈岩波新書〉、1995年/新版、2009年)、『マクロ経済学を学ぶ』(筑摩書房〈ちくま新書〉、 1996年)、『ゼロ金利の経済学』(ダイヤモンド社、 2000年)、『デフレの経済学』(東洋経済新報社、2001年)、『金融危機の経済学』(東洋経済新報社、2009年)、『世界同時不況』(筑摩書房〈ちくま新書〉、2009年)、『日本銀行は信用できるか』 (講談社現代新書、2009年)、『デフレと超円高』(講談社現代新書、2011年)、『ユーロ危機と超円高恐慌』(日本経済新聞出版社〈日経プレミアシリーズ〉、2011年)、『日本銀行 デフレの番人』(日本経済新聞出版社、2012年)、『リフレは正しい アベノミクスで復活する日本経済』(PHP研究所、2013年)、『日銀日記――五年間のデフレとの闘い』(筑摩書房 、2018年)など多数。

<目次>
“金融政策のレジーム転換”の意味
インフレ目標達成のメカニズム
黒田総裁の「どえらいリスク発言」
「国債は将来世代の負担になる」の誤り
予想が外れたエコノミスト
「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」導入の狙い
シムズ論文が指摘したこと
アベノミクスに足りないもの
今、日銀が行うべきこと
“金融政策のレジーム転換”の意味

―― 2013年4月に、日本銀行は2年程度を念頭に、できるだけ早く2%の物価安定の目標を達成することを狙って、それまでの日銀の金融政策とは異次元の金融政策を決定しました。いわゆるインフレターゲティングを伴うリフレ政策です。岩田先生は、日本におけるリフレ政策研究の第一人者で、13年4月から18年3月まで5年にわたって日銀副総裁としてこのインフレターゲティング政策によるデフレ脱却に取り組んでこられました。異次元の金融政策は、政策レジームの転換と言われましたが、まず初めに、その意味とデフレ脱却のメカニズムについて改めてお話しいただけますか。 

 「『政策レジーム』という言葉は、『政府・中央銀行が政策を実行するうえで守っているルール』のことで、米国の経済学者でノーベル経済学賞の受賞者でもあるトーマス・サージェント教授が、ハイパーインフレーションの研究から、その終了の原因を『人々のインフレ予想の変化』で説明し、人々のインフレ予想の変化は政策のレジームチェンジによるものだ、と指摘したことから使われるようになりました。政策レジームのチェンジとは、政府・中央銀行の政策ルールを変えることで、政府・中央銀行があるルールに従って行動している時、家計や企業といった民間部門はそれに反応して行動するというゲーム理論を応用したものです。

 日本における長年にわたるデフレ経済からの脱却とインフレの安定化のためには、政策レジームの適切な変更・選択が不可欠であり、はっきりとしたインフレ目標に基づいて行われるべきだというのが私たちの考えでした。インフレ目標を採用した国は、ニュージーランドはじめ、カナダ、英国、オーストラリア、スウェーデン、ノルウェー、さらにアジア通貨危機後はブラジルやアジア諸国でも採用されました。米国も2012年1月25日に2%の個人消費支出デフレーターを長期的な目標とすると発表しました」


インフレ目標達成のメカニズム

 「インフレ目標達成のメカニズムについてですが、インフレ目標を採用した国の中央銀行は、インフレ目標達成の義務を負います。したがって、インフレ目標達成に強くコミットします。日本の場合は、2%の物価安定目標をできるだけ早く達成することを約束(コミット)し、『2%が安定的に持続するために必要な時点まで量的・質的金融緩和を継続する』という金融政策のルールに変更したわけです。

 この『量的・質的金融緩和』は2本の柱からなっています。第1の柱は、2%の物価安定目標について、2年程度を念頭に置いてできるだけ早く達成することを日銀が明確にコミットしていること。第2の柱は、そのコミットメントを裏付けるために、量的(長期国債を中心に買うことにより、年間約60~70兆円のペースでマネタリーベースを増やす)・質的(満期の長い長期国債やETF、J-REITの購入)に大幅な緩和を実施することです。こうしたコミットメントの宣言によって、市場参加者の間に『中央銀行は金融政策を中期的に目標インフレ率達成に向けて運営することにコミットし、そのコミットメントを裏切ることはしない』という信頼が形成されると、市場はインフレ予想をそのように修正するため、まず株価が上昇します。市場の名目金利が上がる場合でも、完全雇用が達成されるまでは予想インフレ率の上昇ほどには上がりませんから、名目金利から予想インフレ率を引いた予想実質金利は低下します。これによって自国通貨安になります。株価の上昇と予想実質金利の低下はいずれも住宅投資や設備投資及び消費を刺激しますし、自国通貨安は輸出の拡大、輸入の減少や国内の輸入代替財の需要増大をもたらします。このようにして、需要が拡大するため、デフレは収束し、やがてインフレに転ずることになるのです。

 実際、量的・質的金融緩和実施後、企業収益は順調に増加し続け、売上高経常利益率はリーマン・ショック前のピークの水準を越えています。また、失業率は11年1月に4.8%と5%に迫る高さでしたが、17年4月には2.8%まで低下し、完全雇用に近くなり、有効求人倍率も17年5月には1.48倍と43年ぶりの高さで、デフレ期の就職氷河期とは様変わりになっています。

 ただ、金融緩和が実体経済に及ぶまでには最低1年程度はかかるというのが私の当時の見方で、量的・質的金融緩和実施直後の効果は、株高、円高修正、予想実質金利の低下という資産市場への効果であって、設備投資や輸出の増加効果はその後から本格化すると見るべきだと考えていました。この段階の入ると、需給ギャップが拡大して、労働需給のタイト化が進み、賃金上昇を伴った物価上昇が始まると期待されていたのです。

 しかし、こうした動きにストップをかけた最大の国内要因が14年4月から実施された5%から8%への消費税増税でした」


黒田総裁の「どえらいリスク発言」

―― この時の消費税の増税に関しては、黒田(東彦)総裁もやむを得ないと発言していました。

 「消費税増税派が心配していたのは、予定されている増税が行われないと、国債価格が暴落し、金利が暴騰するというロジックでした。

岩田 規久男氏
 こうしたなかで13年9月に黒田総裁が消費税の是非を考える集中点検会合で、金利急騰の危険性に触れて『確率は低いかもしれないが、起こったらどえらいことになる』と発言したという報道がなされました。日銀総裁から、消費税増税が先送りされた時に国債の価格が下落するとそれを止める手段はないと言われれば、投資家は消費税増税が延期されそうになったら前もって国債を売らなければならないと思うでしょう。そうなると、国債の売りが売りを呼んで、国債価格は暴落し、黒田総裁が言う消費税増税が延期されると国債価格が暴落するという予想が実際に実現してしまうことになります。

 すでに述べたように、リフレ政策は人々の予想・期待に働きかけることを通じて、2%のインフレ目標を達成しようという政策です。そのために日銀の強力なコミットメントが重要なポイントでした。ところが日銀総裁自らがこうしたリスク発言をしたことには本当に驚きましたし、日銀総裁としての矩を超えたと思いました」

―― 岩田先生は、副総裁として黒田総裁発言を否定することはできなかったのですか。

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