企業業績に対する期待とプレッシャーが高まる中、M&Aの成功に対しても、同様の要求水準の高度化が見られる。実際のところ、活用できる経営資源の量と質には、常にその時点での制約がある。そうである以上は、成功への執着を貫くためには、「重要性の高いところに経営資源を集中し、ほかのことには当面手を付けない」という言い古された原理に、具体的に立ち戻ってみる必要がある。
M&Aの成功に対する要求の高度化
日本の10年ほど前の状況と現在を比べると、いくつかの画期的な変化が指摘できるだろう。その大半は、日本の「正常化」あるいは「進化」と呼んでよい。具体的には、①日本全体として株価が継続して上がらないことにはとても立ち行かない、との理解が浸透したこと、②株価は業績がすべてでないとしても、業績を上げられない経営者に対する見方が格段に厳しくなったこと、③国内市場に依存していては成長がない、と企業が理屈ではなくて本気で考え、その重要な手段としてM&Aを行なうようになったこと、④なかには、数百億円以上の規模の案件を何度も実施する企業が出てきたこと、⑤過去のM&Aが今日の繁栄をもたらしているM&A成功企業が出てきたこと、⑥国内市場のプレーヤー過多、事業の低採算問題に対して、国内業界再編(M&A)が価値創造の標準的な打ち手として定着してきたこと、などである。
このような変化を背景に、企業をとり巻く環境も変わった。中でも、株主の姿勢の変化は大きい。例えば、
PEファンドや
アクティビストからの提案は、かつてはまずは否定的な受け止めから始まることが少なくなかった。しかし、もとよりその内容には、株主視点で「一考に値する」以上の本質的な指摘が含まれることも多く、経営層にその提案以上の優れた考えがなければ、日本でももはや無視できないところまで来ている。
さらに、高い業績を挙げることに対する株主の期待、あるいは株主からのプレッシャーが定着してきたことによって、社内においても、経営資源配分を巡って同種の要求や議論が高まっている。このなかで、日本企業にとってもはや避けがたいM&Aに対しても、業績貢献への期待、あるいはプレッシャーが同様に高まっている。
一定の解像度を伴う価値創造シナリオの必要性
特に持ち込み案件の場合、もし「本件買収は、折角の機会(またとない好機)なので、内容精査(少なくとも重大な瑕疵がないことを確認)の上、適正価格で買収できるのであれば買収する」というスタンスで検討すると、それで間違ってはいないのだろうけれども、買収価格を正当化する業績実現のシナリオが一体何なのか、一向に明確にならないことが懸念される。「それは、適正価格に反映されることになっているから、心配には及ばない」と考えると、理屈が堂々巡りになってしまう。
ある価格で買収するかどうかは、買い手が自分で決められる。しかし、いくらで買収できるかについては、経済環境、売り手の考え・事情、他の応札者の姿勢(いる場合)、交渉の技量、運など、買い手がコントロールできない多くの要素が関係するだろう。「この値段で買収する」という時には、その買収価格を正当化できるだけの高い業績を挙げる方途があり、それもかなりの確からしさで実現できる、ということでなくてはならない。買収価格を正当化できる業績とは、例えば、買収価格を上回る事業価値を実現する業績である。
買収後の事業成長(キャッシュフローの増加)の一部は、単独(スタンドアロン)の事業価値に何らかの形ですでに織り込み済みであるから、何らかの理由で安く買い叩くことができる場合を除き、買い手は事業価値実現の上乗せシナリオを見出さなくてはならない。これが、M&Aに何らかの相乗効果(シナジー)が必要となる所以である。「商いの利は仕入れにあり」であって、高く買ってしまうと良くて「ただ働き」、つまりシナジーが計算どおり出て、やっと収支がトントンになり、もしもシナジーの計算が狂えば、M&Aをやったために損をすることになる。
従って、コスト関連でも売り上げ関連でも良いので、買い手には、業績あるいは事業価値の具体的な上乗せシナリオが必要である。事業の
デューデリジェンス(DD)では、その上乗せシナリオが果たして信ずるに足るものであるかどうか、つまり上乗せの理屈と重要な関連事実が正しく、十分な経済効果があり、実現可能であるかどうかの判断に注力することになる。
また、上乗せではなくて、単独の事業価値についても同様に、価値実現の前提となるシナリオ(事業価値の「下支えシナリオ」)が必要な場合がある。特に、事業が停滞・縮小している場合や、業界に非連続の大きな変化が起きることが想定される場合がそうである。
図1は、想定する事業価値と、その実現を支えるシナリオ、そして、買収価格の関係を模式的に示したものである。