第1 はじめに 経済産業省は、2023年8月31日、「
企業買収における行動指針 -企業価値の向上と株主利益の確保に向けて-」(以下「本指針」という。)を策定し、公表した。本指針は、近年の日本企業及び資本市場を取り巻く環境変化を受け、企業買収に関する当事者の行動の在り方等を検討するために経済産業省が設置した「公正な買収の在り方に関する研究会」(以下「本研究会」という。)における議論等を踏まえて策定されたものであり、上場会社の経営支配権を取得する買収を巡る当事者の行動の在り方を中心に、M&Aに関する公正なルール形成に向けて経済社会において共有されるべき原則論及びベストプラクティスを提示することを目的としている。
紙幅の関係上、本指針全体の詳細な解説は他の論稿に譲ることとし、本稿では、本指針の「第2章 原則と基本的視点」と「第3章 買収提案を巡る取締役・取締役会の行動規範」を取り上げ、M&A実務に携わる者が理解しておくべきと考えられる点や、今後のM&A実務への影響が想定される点に焦点を当てて検討する。
第2 本指針の構成 本指針の構成は、以下のとおりである。
第1章 はじめに
第2章 原則と基本的視点
第3章 買収提案を巡る取締役・取締役会の行動規範
第4章 買収に関する透明性の向上
第5章 買収への対応方針・対抗措置
第6章 おわりに
別紙1:取締役・取締役会の具体的な行動の在り方
別紙2:強圧性に関する検討
別紙3:買収への対応方針・対抗措置
上記のとおり、本指針は本体(第1章~第6章)と別紙に分かれるが、本体と別紙の位置づけに差異はないとされているため、本体を参照する場合には、関連する別紙の内容も併せて確認する必要がある。
第3 「第1章 はじめに」について(公正M&A指針との関係を中心に) 経済産業省は、2019年6月28日、「
公正なM&Aの在り方に関する指針 -企業価値の向上と株主利益の確保に向けて-」(以下「公正M&A指針」という。)を策定した。公正M&A指針は、経済産業省が2007年9月4日に策定した「
企業価値の向上及び公正な手続確保のための経営者による企業買収(MBO)に関する指針」を改訂したものであり、
MBO及び支配株主による従属会社の買収を中心に、主として手続面から、我が国企業社会における公正なM&Aの在り方を提示することを目的とし、原則論を含めた考え方の整理と、その考え方に基づいた実務上の対応について提示する。
公正M&A指針は、構造的な利益相反と情報の非対称性の問題が類型的に存在する取引について、いかに
企業価値の向上や株主の利益の確保を実現するかという観点から策定されたものであるのに対し、本指針は、取締役会と買収者が異なる利益を有している独立第三者間取引を念頭に置いているところ、本指針は、両指針が対象とする取引の違いを意識しながら、公正M&A指針で示された原則論や公正性担保措置、対抗提案を受けた場合の対応等に関する考え方を、必要な修正を加えつつ継承又は発展されたものとされている(注1)。「本指針が策定されたことにより、公正M&A指針の重要性は低下するのか」といった質問を受けることがあるが、本指針は公正M&A指針を改訂したものではなく、MBO及び支配株主による従属会社の買収のような構造的な利益相反と情報の非対称性の問題が類型的に存在する取引においては、引き続き、公正M&A指針も併せて参照されるべきであるし、構造的な利益相反と情報の非対称性の問題が類型的に存在する取引に該当するか否かにかかわらず、たとえば特別委員会が個別のM&Aにおいていかなる公正性担保措置をどの程度講じるかを検討するにあたっては、公正M&A指針の「第3章 実務上の具体的対応(
公正性担保措置)」で提示された観点を参考にする場面は多いはずである。公正M&A指針に関する適切な理解は、本指針の策定後も、引き続き重要であると考えられる。
第4 「第2章 原則と基本的視点」について 1. 企業価値の向上と株主共同の利益の確保の関係 本指針は、上場会社の経営支配権を取得する買収一般において尊重されるべき原則の第1原則として「企業価値・株主共同の利益の原則」を掲げ、望ましい買収か否かは、企業価値ひいては株主共同の利益を確保し、又は向上させるかを基準に判断されるべきであるとする。
■筆者プロフィール■
岡部 洸志(おかべ・こうじ)
TMI総合法律事務所パートナー弁護士。2017年から2年間、金融庁企画市場局企業開示課に出向し、公開買付規制、大量保有報告規制等に関連する業務に従事。出向を通じて得た知見と経験を活かし、公開買付けを中心とする上場会社のM&Aやエクイティ・ファイナンス案件に多数関与。その他、コーポレート・ガバナンス、アクティビスト対応等を専門とする。