1985年から86年にかけて、ハーバード・ロー・スクールで学んだ。子持ち女性であった私にとって、家族や勤務先(名古屋大学)の理解に支えられて実現した、実に貴重な機会であった。当時のLL.M.で学ぶ外国人のうち、最大集団は日本人であり(今昔の感に堪えないが・・・)、心強かった。
会社法に関心をもつ日本人として目を見張ったのは、M&Aについての議論が教室を席巻していたことであった。城山三郎の『総会屋錦城』によって「乗っ取り」を疑似体験していただけの私には、
敵対的買収の市場効率性に関する実証研究とか、
レバレッジド・バイアウトのからくりとか、
ポイズン・ピルの効用とかいった議論は、異次元からの光のように肌に刺さった。
帰国後に大学の浜田ゼミで、早速にこの議論を採り上げた。ロバート・クラークの『会社法』を原文で読ませると、学生は負担が重いと文句を言いながらも、興味を持って深入りする者が少なくなかった。彼らは、「俺たちは
ホワイト・ナイトを白夜と訳したなあ」と、今でも往時を懐かしがっている。彼らの幾人かは、卒業後の職業生活の中でも、日本におけるM&Aの動向に目を注ぎ続け、その健全な発展に理論的実践的に貢献した。ハーバードで同時期に会社法を学んだ日本人学生の、その後のM&A分野での大活躍は、言うまでもない。
ハーバード留学中にもう一つ印象に残ったのは、クラークが1981年にロー・レビューに執筆した「資本主義の4段階」の論文である。彼によれば、資本主義の第一段階では、資本所有者である資本家が、自ら事業を経営する。第二段階では、資本家の機能は、資本所有者と経営者に機能分化する。バーリーとミーンズは1932年に、社会の遊休資本を広く集めた大規模公開会社が出現してプロ経営者が事業経営にあたる姿を、衝撃的に描いた。第三段階では、資本所有者の機能が、資本供給者と金融資産運用者にさらに機能分化する。ポートフォリオ・マネジャーの台頭が象徴するこの段階は、1960年代に青年期を迎えた。こう述べた後、クラークは、資本供給者の機能は今後、貯蓄プランナー(年金基金や生命保険など)と受益者に機能分化するとし、これを資本主義の第四段階とした。
クラークによれば、