【登場人物】
- サクラ電機株式会社 社長
鳥居 聡一 - サクラ電機株式会社 副社長CFO
竹野内 悠 - サクラ電機株式会社 企画担当役員
上山 博之 - サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 部長
堀越 一郎 - サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 次長
木村 遼太 - サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 スタッフ
山本 朝子 - サクラ電機株式会社 本社 品質統括部 部長
渡辺 隆一 - サクラ電機株式会社 本社 経理部 部長
松田 駿 - サクラ電機株式会社 本社 経理部 改革推進担当(木村の同期)
篠山 雄大
(前回までのあらすじ)
サクラ電機 本社経営企画部の次長である木村 遼太は、事業への権限委譲が進む一方で肥大化を続ける本社部門の改革を進めることになった。
本社の各部門から思うような回答を得られなかった木村は、堀越部長の指示の下、本社組織の「あるべき姿」を描いた上で、改革のリスタートに向けて社長に報告することになった。
これは、あるコーポレートの経営企画部次長が、様々なコーポレートアジェンダに携わり、そして経営と現場の間で葛藤しながら、自社におけるグローバル経営の在り方を模索するストーリーである。
役員会議室の雰囲気
「それじゃ、頑張ってきてくださいね!」
山本から印刷した報告資料と激励の言葉を受け取り、木村とその上司である堀越は、役員フロアへ続く扉を開いた。2人は、本社組織改革の現状とリスタートに向けた提言を社長に報告するため、役員会議室に向かおうとしていた。
サクラ電機の役員フロアは、執務エリアの奥にある。扉をくぐると、重厚感のある木目調の作りの空間が広がっている。床には絨毯が敷かれ、革靴で歩くとその柔らかさに違和感を覚えた。
「厳かな雰囲気ですね…」
滅多に役員フロアに入ることのない木村は、緊張を和らげるために堀越に話しかけた。周囲は静寂に包まれているため、極力小さな声で話すことを心掛けた。
「そうかな」
堀越は経営企画部長という立場上、頻繁に役員フロアに立ち入ることがあるのだろう。あまり新鮮味のなさそうな声で答えた。
「まあ、こんなフロアに籠って自分が偉くなった気になっているような連中が役員では困るけどな」
堀越は、ニヤッと笑いながら小さな声で毒を吐いた。木村は、その発言が誰かに聞こえてしまうのではないかとの不安から、曖昧な笑顔を返すことしかできなかった。
そんなぎこちない会話をしているうちに、2人は社長報告が実施される役員会議室に到着した。木村が扉を開けると、マホガニーの会議卓とひじ掛けの着いた椅子が並んでいる。木村は参加者の席次を確認しながら報告資料を並べ、そして会議卓から少し離れた後方の座席に腰を掛けた。
サクラ電機では、社長への報告会議や経営会議におけるルールとして、原則、部長格以上が報告者を務める。そして、報告者は管理職以上の役職にあるものを補佐として帯同してよいことになっている。すなわち、今回においては、堀越が報告者となり、木村はその補佐としてオブザーバー参加することになっていた。山本と役員エリア前で分かれたのは、そのルールに基づくと彼女は今回の報告に参加できないためだ。
かつてこのルールを初めて聞いたとき、木村は「なんと格式張って堅苦しい、官僚的なルールだ」と感じた。噂によると、自らが報告内容を十分に理解せず、大量の帯同者を連れて会議に参加してくる者が多かったことから、然るべき者が責任を持って報告するよう促すために設定されたものだという。そんな者を部長に昇格させてしまうような人事制度に問題があるような気がして、木村にとっては、必ずしも納得できないルールだった。しかし、役員会議室の雰囲気に飲まれていた木村は、自分が報告者になれなかったことへのもどかしさと同時に、矢面に立たなくて良いという安堵感を少しだけ感じていることに気づき、「かつてぞろぞろと取り巻きを連れてきていた部長たちを笑えないな…」と自嘲した。
報告者席に座っている堀越に目をやると、ぱらぱらと資料をめくっている。斜め後ろから覗いているのでハッキリとは見えないが、何やら口元が動いている。おそらく、プレゼンテーションのイメージをおさらいしているのだろう。木村は、自分も余計なことを考えずに準備をしようと、議事録を作成するために文書作成アプリを起動した。
そうこうしていると、会議室の扉が開き、順番に参加者が入ってきた。
最初に入ってきたのは、企画担当役員である上山 博之だった。堀越の上長にあたる人物だ。続いて、副社長でありCFO(Chief Financial Officer)を務める竹野内 悠が部屋に入ってきた。こちらは、木村の同期である篠山やその上司である松田部長の上長にあたる。
そして最後に、サクラ電機の社長である鳥居 聡一が開始時間に少し遅れて部屋に入ってきた。
「すみません、お待たせしました」
ツヤのあるダークグレーのスーツを着た鳥居は、自らの遅刻を詫びながら席に着く。メタリックな眼鏡の奥には知的な印象を与える切れ長の目が光っている。いかにも切れ者という印象を与える人物である。木村は久しぶりに近距離で見る社長の姿に、更に緊張感を高めた。
こうして、社長への報告が始まった。
社長の想い
堀越が、木村たちの準備した資料に沿って、内容を報告していく。
まず堀越は、本社の各部門に対して、自発的な効率化策の検討を求めたものの、十分な回答が得られず、進め方の再考が必要な状況であることを説明した。資料を眺める鳥居の表情は険しく、木村はそわそわしながら報告の様子を見守っていた。
続いて堀越は、本社組織が強化すべき「コーポレート機能」を定義し、それ以外の「スタッフ機能」について効率化を迫るという「モノサシ」を示すことでリスタートを図るというプランについて説明した。木村たちが考える、「コーポレート機能」の定義についても解説する。グループ戦略・ポートフォリオ管理、経営資源管理・配分、先行投資、その他上場企業として最低限求められる機能といった、事業横断かつ中長期視点でのグループ企業価値向上を担う機能として木村たちが定義したものだ。
堀越は一通り説明を終えると、鳥居に意見を求めた。
報告資料をぱらぱらとめくり、何度か内容を見直してから、鳥居が口を開いた。
「各部門からの一次回答を見ると、やはり“内向き志向”がひどいですね。自分たちの業務の正当性を主張するばかりで、それを変えていこうという意思が全く感じられない。これは肥大化するのも納得できます」
開口一番、辛辣なコメントだ。歯に衣着せぬ率直な人柄が表れている。参加者が信頼できる者ばかりということもあるのだろう。
「そういった意味で、この“コーポレート機能”の定義によって “あなたたちの部門で本当に必要な機能はこれだけですよ”と突きつけるのは良いと思います。これはぜひ進めてください」
まずは肯定的なコメントで、木村は安堵した。しかし、鳥居は言葉を続ける。
「しかし、そこから外れた機能、ここでいう“スタッフ機能”については、もっと真剣に生き残り方を考えてもらわなければならない。事業本部に移管すれば、彼らの収支責任の中で少しは揉まれていくでしょう。ただ、それ以外については、組織として切り離そうが、機能子会社に移そうが、逃げ道を与えているだけに過ぎず、結局は“内向き志向”から脱却できない。そもそも既存の機能子会社だって、競争力があるとは思えません」
鳥居の目つきは厳しい。この本社組織の改革は、元々堀越が経営会議で直々に指示を受けたものだとは聞いていたが、そこには予想を超える鳥居の課題意識があったことを木村は改めて認識した。
「もっと抜本的にコスト構造を変えるか、グループへの貢献を高めるような方策を考えてもらう必要があると思います。そうでなければ、重いコストとして残り続けるだけです。報告してもらった内容で進めていってもらえればと思いますが、この“スタッフ機能”の追い込み方については、更に深めること。よろしくお願いします」
鳥居が最後に自らのコメントをまとめると、報告は終了となった。ものの20分程度の会議だった。
社長報告を終えて
社長報告を終えて執務エリアに戻ると、木村は深呼吸した。普段は決して快適と感じることのない無味乾燥な執務エリアだが、役員フロアの重い雰囲気から解放された今は、広々とした空間が心地よかった。
「お疲れ様でした!どうでした?」
堀越と木村を見つけた山本が、待ちきれない様子で結果を尋ねてきた。
「素敵な宿題をもらったぞ。どこかの会議室でラップアップしようか」
堀越がニヤッと笑いながら答える。山本は「宿題ですか…」と不安そうな顔をしながら、空いている会議室を探した。
3人は会議室に入ると、社長からの「宿題」について議論を始めた。
「“内向き”の志向を脱却して、抜本的にコスト構造を変えるか貢献を高める…ですか。そんなこと、どうやったらできるんでしょう?」
山本は頭を抱える。
「たしかに難しいお題だよな。コスト構造を変えると言っても、つまるところ、本社組織のコストの殆どは人件費だ。そこに手を付けようと思えば、どうしても“リストラ”がちらついてしまう」
木村も、なかなか打開策が見いだせなかった。会議室に沈黙が流れる。
その空気に耐えられず、山本が嘆いた。
「うーん、こんなこと、私たちにはできないんじゃないでしょうか…」
木村が「よく上司の前でそこまで言えるな…」と彼女の図太さに半ば感心していたとき、意外にも堀越は「たしかにそうだな」とその発言を肯定した。
「え、どういうことです?」
木村が思わず聞き返す。
「本当に抜本的に現状を見直そうとするなら、自分たちだけでやることが間違いなのかも知れない」
堀越は続ける。
「事業だって合弁会社やアライアンスによって他社と協業していく時代だ。間接機能だって、何でも自前で考えなくてもいいじゃないか」
「つまり、アウトソーシングみたいなものを積極的に活用していくと…」
木村は堀越の意図を確認する。
「例えばそういうことだ」
堀越は頷く。
「ですが、アウトソーシングして業務が効率化されても、結局仕事がなくなった人の人件費が残ってしまうケースも多いと聞きます」
木村の懸念に対して、堀越はニヤッと笑って言う。
「もちろん、ただのアウトソーシングだけではダメだろうね。外部を使うというアイディアを踏まえて、コスト構造がしっかり変わるようなスキームをぜひ考えてもらえないか」
堀越はそう言うと「ごめん、次の会議があるから」と会議室を出て行ってしまった。
「堀越部長は、今の会話で方向性が出せたと考えたのか、もしくは、これは逃げられただけなのか…」
残された木村は、思わぬ形で「宿題」を手渡されて呆然とした。傍らでは山本が不安そうな表情でこちらを見ている。
木村の脳裏には、カラカラと笑う同期の顔が相談先として思い浮かんでいた。
(次号へ続く)
■筆者プロフィール■
伊藤 爵宏(いとう たかひろ)
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 シニアマネジャー
製造業を中心に、バイサイドディールにおけるビジネスアドバイザリー、セルサイドディールの構想・実行、PMIにおける統合事務局、グループ子会社の再編構想等、M&A・組織再編全般にアドバイザリー経験を有す。
近年では、日本企業のグローバル経営力強化に向け、グローバル本社・地域統括組織におけるミッション・機能の再定義から組織再編の構想・実行に至る機能・組織変革案件に多数従事している。