[寄稿]

2024年6月号 356号

(2024/05/13)

企業買収に関する経済産業省の2つの指針とその課題

神田 秀樹(東京大学 名誉教授)
  • A,B,C,EXコース
1 はじめに

 本稿は、上場会社を対象とする企業買収(M&A)を取り上げるが、そうした企業買収は、買収の対象会社の経営陣がその買収に賛同している場合(友好的な買収)と反対している場合(敵対的な買収)とに区分することができる(後述する経済産業省の2023年指針におけるように、最近では経営者が買収提案に同意していないものを「同意なき買収」と呼ぶことがある)。このような上場会社を対象とする買収については、会社法が裁判規範を提供し、裁判所による法形成がされているが、会社法のむずかしいところは、友好的な買収では主に裁判となるのは株式の価格の決定(非訟事件)であり、買収の全体を通じたあるべき考え方が会社法の個別の規定からは見えない点にある。敵対的な買収でも主に裁判になるのは新株予約権の発行や新株予約権無償割当ての差止めの仮処分(保全事件)であり、ここでも買収の全体を通じたあるべき考え方は会社法の個別の規定からは必ずしも見えない。

 こうした状況の中で、経済産業省は2019年と2023年に実務指針を策定し(後述)、健全な実務の展開を期待している。これらの指針については、すでに詳細な紹介がされているので、本稿はその内容の詳細を紹介するものではないが、今後の実務の発展を念頭に置いて、気を付けるべき点と筆者が感じる点をいくつか述べてみたい。なお、本稿は筆者個人の見解を述べたものであり、筆者が参加した研究会や審議会のワーキング・グループ等の見解を述べるものではない。

2 友好的な買収――2019年M&A指針

(1)概観

 友好的な買収については、上場会社の完全子会社化の事案であるジュピターテレコム社の事案に関する2016年の最高裁決定(後述)が二段階キャッシュアウトの二段階目における公正な価格について裁判所が判断する際の基本的な考え方を示し、これと実務の状況を踏まえて2019年6月に経済産業省の実務指針(後述)が策定され、これらに基づいた実務の運用が定着しつつある。

(2)法的手段――二段階キャッシュアウト

 日本では、買収者が上場会社の株式のすべてを取得しようとする場合(その結果対象会社は買収者の完全子会社となる)には「二段階キャッシュアウト」の方法が利用されることが多い。通常は、第一段階として、公開買付けの方法で対象会社の全株式の取得を試み、これで取得できなかった残りの株式を、第二段階として、全部取得条項付種類株式制度を利用した取得などの方法(後述)で取得する。

 このような「二段階買収」においては、第二段階での株式取得等の対価(対価として支払われる金銭の額)が第一段階での公開買付けの価格よりも低いと、第一段階の公開買付けにおいて公開買付けに応じて持株を売却することを望まない株主も後により低い価格で退出させられるおそれがあるため公開買付けにやむをえず応じるという効果が生じ(強圧性と呼ぶ)適切ではない。この観点からは、第二段階における対価の額は原則として第一段階の公開買付けの価格と同じであることが望ましい。また、この点とは別に、友好的な買収の場合には、利害状況によっては、そもそも第一段階の公開買付けの価格が適正か(低すぎるのではないか)という問題がある。

(3)平成26年会社法改正

 平成26年会社法改正までは、二段階買収において第一段階で取得できなかった残りの株式について、第二段階として、全部取得条項付種類株式制度(会社法108条1項7号・171条以下参照)を利用して金銭を対価として強制的に取得するということが行われてきた。典型的には、公開買付け後に定款を変更してすべての普通株式を全部取得条項付種類株式とし、次に会社が新規に発行する株式を対価として全部取得条項付種類株式を取得するが、一般株主には端数が対価として交付されるように設計しそれを現金化して交付する(会社法234条参照)(注1)。

 平成26年会社法改正は、全部取得条項付種類株式制度と株式併合制度(会社法180条以下参照)を改正し、特別支配株主の株式等売渡請求制度(会社法179条以下参照)を新設した。そこで、改正後は、第二段階は、仕組みが複雑な全部取得条項付種類株式を使うのではなく、第一段階の株式公開買付けにより90%以上を取得できた場合は特別支配株主の株式売渡請求、90%未満の取得にとどまった場合は端数を生じる株式の併合によって実施することが実務上定着している。価格に不満な株主は、前者では裁判所に対して売買価格決定の申立てをし(会社法179条の8)、後者では反対株主の株式買取請求権を行使することになる(会社法182条の4・182条の5)。

 なお、全部取得条項付種類株式の全部取得について、平成26年改正により、価格決定の申立てをすることができる期間が、改正前は「株主総会の日から20日以内」であったのが「取得日の20日前の日から取得日の前日まで」と改められた(会社法172条1項。会社による通知または公告につき、172条2項3項)。また、会社は裁判所の決定した価格に取得日後の年6分の利息を付して支払わなければならないとされていたが、平成29年民法改正(いわゆる債権法改正)によって民事・商事の法定利率が一本化されたため、同改正施行後は法定利率によることとなっている(会社法172条4項)。このほか、平成26年改正で会社が公正な価格と認める額を支払うことにより利息の支払を防止することができるようになっている(会社法172条5項)。以上は、特別支配株主の株式等売渡請求の場合でも同じである。

(4)最決平成28年7月1日民集70巻6号1445頁


■筆者プロフィール■

神田 秀樹(かんだ・ひでき)神田 秀樹(かんだ・ひでき)
1977年東京大学法学部卒。1977年東京大学法学部助手、1980年学習院大学法学部講師、1982年学習院大学法学部助教授、1988年東京大学法学部助教授、1991年東京大学大学院法学政治学研究科助教授、1993年東京大学大学院法学政治学研究科教授。2016年に東京大学を退職し、同年から2024年まで学習院大学大学院法務研究科教授。現在、東京大学名誉教授。

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