[【連載対談】THE GREAT INNOVATORS ―― 原田泳幸と未来を牽引するイノベーターたち]

(2020/03/13)

岸田祐介 スターフェスティバル代表取締役 CEO

法人向け弁当&ケータリングの総合モールを構築、BtoEビジネスのイノベーターが次に狙うもの

原田 泳幸(ゴンチャジャパン 代表取締役会長兼社長兼CEO、原田泳幸事務所代表取締役)
岸田 祐介(スターフェスティバル代表取締役 CEO)
久保田 朋彦(GCAテクノベーション 代表取締役)(司会)
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左から原田 泳幸氏、岸田 祐介氏、久保田 朋彦氏

左から原田 泳幸氏、岸田 祐介氏、久保田 朋彦氏


 アップル、マクドナルド等のトップを歴任され、この間、エレクトロニクス、外食それぞれの産業で、圧倒的な地位を作ることに成功した原田泳幸氏をホスト役に、注目の起業家をお招きして未来を牽引するイノベーターの発想を対談で探る「THE GREAT INNOVATORS」。
 今回のゲストは、有名店の「ごちそう」を宅配する法人向けお弁当&ケータリング宅配サイト「ごちクル」、デリバリー型社員食堂「シャショクル」を日本全国でサービス展開するスターフェスティバルの代表取締役CEO岸田祐介氏。


カラオケボックス店の閉店時間を活用

久保田 「今日は、スターフェスティバルの岸田さんをゲストとしてお招きしました。スターフェスティバルは、『ごちクル』、『シャショクル』を中心に日本最大級のフードデリバリー総合モールを運営し、そのノウハウ・顧客基盤をもとに『ソリューション』と『販路』の両軸から、飲食店の中食・ECビジネス参入を支援しておられます。直近では、2020年1月に、法人顧客に会議用弁当などを手配するフードデリバリー事業をぐるなびから譲り受け、スターフェスティバルの年間取扱高は100億円を超える見込みです。

 一方で、原田泳幸さんも、2019年末に台湾ティーカフェ『ゴンチャ ジャパン』の社長に就任され、飲食業界に戻られたこともあり、飲食業界のイノベーターであるお二方に、日本が誇る食文化を世界に広める戦略について、ディスカッションしていただきたいと思います。

 岸田さんが立ち上げられたスターフェスティバルは、出前館やUberとはビジネス、サービスの発想が全く異なります。まず岸田さんから、自己紹介も含めて、どのような経緯でスターフェスティバルを創業されようと思われたのかについてお話いただけますか」

岸田 「大学に入学してすぐ、大阪の道頓堀にあったカラオケボックスでアルバイトを始めました。1996年のことです。お店の営業時間は、お昼12時から朝5時までです。ある日、朝の5時に店を閉じる作業をしていると、宗右衛門町からホストのお兄さんやクラブのお姉さんたちが仕事を終えて、飲みにいく姿を目にしました。しかし、その時間に飲めるお店はそうありません。そこで、カラオケボックスが閉店している朝5時からお昼までの間を利用して、自分で家賃を払ってそのカラオケ店を経営させてもらうことにしたのです。1万5,000円で仕入れたドンペリを3万円で出したのですが、そのお兄さんやお姉さんたちはとても喜んでくれて、月1,000万円程の売り上げをあげることが出来ました。そうしたら、1年後に店長から『あとはオレ、やるから』と言われて、この商売は取り上げられてしまいました」

インターネットの力を実感

原田 「大学に通いながらその商売を続けていたのですか?」

原田 泳幸氏

岸田
 「仕入れの2倍の値段で販売してもお客様に感謝してもらえるという体験をして、商売の面白さにすっかりのめり込んでしまったものですから、結局、大学は中退しました。このままではいけないと思い、就職を考えたのですが、大学中退では入れてくれる会社がなかなかありません。結局、親戚の伝手で高級ハンドバッグの輸入商社に入社させていただき、百貨店の外商をやりました。

 3年程経った頃だったと思います、イタリアからハンドバッグを輸入する際に使われる段ボールや紐などの梱包資材が、会社のゴミ捨て場に沢山捨ててあるのを見ました。『もったいない』と思って、それを拾ってネットオークションに出してみると、物によっては1個10万円で売れたのです。当時僕の月給は約20万円でしたが、ネットオークションで、毎月数百万円の売上を上げることができました 。インターネットの力を実感した瞬間です。しかし、ネットオークションは3カ月で止めました。インターネットのすごさは実感出来たのですが、必ず真似をする人が出てくるからです。インターネットビジネスの仕組みをより深く勉強しようと考えて、インターネットビジネスの会社に転職することにしたのです」

久保田 「それで楽天に入ったのでしょうか?」

岸田 「ヤフーと楽天の入社試験を受け、先に合格通知を出してくれた楽天に入社することにしました」 

原田 「いずれは独立しようと考えていたのですか」

岸田 「楽天はまだ一般的に有名でなかったですから、母も『大丈夫なの?』と心配していました。2002年10月に入社して1カ月程経った頃、上司に六本木のアマンドで『起業するなら早い方がいいぞ』と言われて、私はその場で『30歳になったら起業します』と宣言しました」

久保田 「楽天ではどのような仕事を担当したのですか」

岸田 「楽天デリバリーという出前店ショッピングモールの立ち上げ事業を3年程やりました。出前をしているお店に出店をお願いする営業です。その後、楽天イーグルスの球団立ち上げプロジェクトで社内公募があったので、手を挙げて、応募者200人のうちの3人に選ばれて仙台で働きました」

レストランのホームページを制作して販促

原田 「起業しようというきっかけは?」

岸田 「楽天在職時に、何か起業するアイデアを持っていたかというとそうでもなくて、宣言した30歳になって、辞めてから起業のネタを探し始めたというのが事実です。起業するために会社を辞めたものの、お金もないですし、起業のネタもないという中で、自分の人生を振り返った時に、空き時間、もしくは世の中で無駄とされているものを、第三者に繋げることの喜びが自分にとっては大きかったということを改めて感じました。カラオケボックスの時もそうでしたし、ハンドバッグの段ボールや紐をインターネットオークションで売っていた時もそうでしたし、球場を立ち上げて狭い空間に何万人もの人を呼んで、ワクワクドキドキさせる仕事をやっていた時も、そういった喜びをすごく感じることが出来ました。こういうビジネスを世の中に立ち上げられないかなと考えていった結果、楽天でインターネットの知識はある程度学びましたし、インターネットを通じてレストランの方たちと関わるということもしておりましたので、この領域でまだ何かチャレンジできることがあるのではないかと思うに至ったのです。


 先ほど申し上げた楽天の出前専門ショッピングモールでは、当時は出前をやっているレストランの商品「だけ」をインターネット上に集めてやっていました。そのような中で、ユーザーであるお客様からは、「他にもっとないのか、あそこにうまいレストランがあるのに、何であの店の料理は届けられないんだ」という声が寄せられていました。日本だけでも80万店舗のレストランがある中で、デリバリーをやっているお店は2~3万店舗ぐらいです。なぜこんなにデリバリーをやらないのだろうと考えると、やはりデリバリーのサービスは、ハードルが高いからです。出前の機能、配達の機能を自前で持たなければなりませんから、固定費がかなり上積みになります。しかも、レストランの店舗でランチやディナーを提供しながら、デリバリーとして外に出す料理も作るというのはなかなか難しい。そもそもイートインのビジネスがそれほどうまくいってない中で、さらに固定費をかけてデリバリーを手掛けるということは、レストランにとってかなりのリスクとなります。

 そこで、配送を僕たちが引き受けることにすれば、レストランはデリバリー業務に参入してくれるのではないか、ということを想像しました。一度やってみようということで、会社を立ち上げる前に、個人事業としてチャレンジをすることにしました。具体的には、私たちがホームページを作成し、あるレストランのお弁当の販促をすることで、注文が取れるかどうかテストしました。当時は、レストランがホームページを持つ時代でもなかったのですが、インターネットで物を買う文化は相応に浸透してきていた時代だったこともあり、私たちが提携した小さなレストランのホームページをグーグルやヤフーの検索結果でうまく見せたところ、大成功を収めました。これを機に、別のレストランにもお声がけをさせていただくことにしました。最初の3年間は、今我々がやっている『ごちクル』、『シャショクル』というようなプラットホームビジネスではなく、あくまで個別のレストランのホームページを制作し、私たちが販売促進するという形です」

ワンルームマンションの一室で起業

原田 「起業は1人で始めたのですか」

岸田 「弟と2人で東京・世田谷のワンルームマンションの一室からスタートしました。弟にホームページの作り方の本を2冊渡して、お店のホームページを作れと。私は営業です。半年かけて起業の準備をして、09年4月1日にインターネット専業の宅配弁当・配達・デリバリーサービス『南青山惣助』をオープンさせました。当初の2週間は全く電話が鳴らなかったものの、3週間程経った頃からポツポツと注文が入るようになり、2カ月目には売上が450万円にまで伸び、創業から3カ月間チャレンジをした結果、黒字で運営できることを確認しました。3カ月後の7月に『スターフェスティバル』として株式会社化しました。

 結局、最初の3年間で150店舗のレストランと提携して、150個のオリジナルのホームページを作成しました。そうすると、例えば『六本木、デリバリー』とか、『世田谷、弁当』というように検索すると、様々な検索結果にそれらのホームページが現れます。全て違うお店ですが、実際には全て我々が運営しているという構造ができるわけです。提携店舗数が増えてきたので、モールにしようということで宅配弁当店のショッピングモール『ごちクル』の運営を始めました」
 
初のM&A

原田 「岸田さんが取り組んだのは、日本最大級のフードデリバリー総合モールの運営というビジネスモデルですが、様々な会社を傘下に入れることによって、サービスの多様化を実現しているのですか」

岸田 「『ごちクル』は、9,300種類以上のラインナップを取り揃えた日本最大級の企業・ワーカー向けフードデリバリーサービスで、約800の製造パートナー、約70の配送パートナーと連携して、会議・接待・イベント・パーティーなどあらゆるビジネスシーンにマッチしたごちそうをお届けしています。また、『シャショクル』は、低価格で食べられるお弁当や有名店・話題店のお弁当を、『食のセレクトショップ』のように取り揃え、日替わりで社内やオフィスビル内にお届けするサービスで、低コストでデリバリー型の社員食堂のようにご利用いただいております。いずれも、全て我々が自前で作ってきたサービスですが、20年1月に、ぐるなびから法人顧客に会議用弁当などを手配するフードデリバリー事業を譲り受ける初めてのM&Aを行いました」

BtoE型ビジネスの発想と特長

原田 「私がマクドナルドの経験をして一番難しかったのは、ピープルマネジメントと受注予測です。最も美味しい状態での提供と廃棄ゼロの両立を目指すには、受注予測の精度を上げるしかありません。いかに時間帯別、SKU(Stock Keeping Unit:最小管理単位)別の受注精度を上げるかが勝負で...




■はらだ・えいこう
1972年日本NCR株式会社入社。研究開発部。90年アップルコンピュータ・ジャパン(当時)入社マーケティング部長。96年米国アップルコンピュータ社バイスプレジデント就任(米国本社勤務)。1997年アップルコンピュータ代表取締役社長兼米国アップルコンピュータ副社長就任。2004年2月日本マクドナルド代表取締役会長兼社長兼CEO就任。05年西友/Walmart社外取締役就任。13年ソニー社外取締役、ベネッセホールディングス社外取締役就任。14年ベネッセホールディングス代表取締役会長兼社長就任。16年6月同社退任。19年12月ゴンチャジャパン代表取締役会長兼社長兼CEO就任、ゴンチャグループグローバルシニアリーダーシップチームメンバー就任。株式会社原田泳幸事務所代表取締役社長。

■きしだ・ゆうすけ
1977年5月兵庫県丹波篠山市生まれ。 学生時代のアルバイト先カラオケ店で閉店中の空き時間を間借りして起業した後、大阪の商社にて服飾雑貨商材卸・小売り部門の百貨店営業職を経験。2002年10月に楽天株式会社へ入社。出前専門のインターネットモール「楽天デリバリー」事業を立ち上げる。04年9月の楽天のプロ野球参入に伴い、社内公募により50年ぶりの新球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」の創業メンバーとして球団設立に携わる。チケット・ファンクラブ事業の責任者をはじめ、球場への動員責任者として創業初年度の黒字化に貢献。09年4月に世田谷区のワンルームで個人事業としてインターネット専業の宅配弁当店「南青山惣助」を創業。同年7月、スターフェスティバルを設立、代表取締役社長に就任。

■くぼた・ともひこ
UBS証券、ソニー、GCAを経て、2014年にデジタル・テクノロジー分野でのインキュベーション事業を手掛けるGCAの子会社アンプリアの代表取締役に就任。15年以上に渡り、メディア、テクノロジー業界にて、日本企業と米国のテクノロジベースの企業とのM&Aや戦略的アライアンスを実現。日米のメディアおよびデジタル・テクノロジー企業をクライアントとしている他、メディアおよびテクノロジー業界でのカンファレンスにも多数スピーカーとして参加。17年7月に日本での体制強化に伴い、GCAテクノベーションに商号変更。

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