[書評]
2013年6月号 224号
(2013/05/15)
経済学のみならず、保守派かリベラル派かといった政治や社会にかかわる思想を巡って、今なお決着がつかない論争のきっかけをつくったケインズとハイエク。この二人の人物を縦軸にこの80年間の経済学の歩みと危機を繰り返す資本主義経済の歴史が語られている。難しい経済理論だけでなく二人の人となりや私生活も描かれていて、経済学の専門知識のない者にも読みやすい読み物になっている。
取り上げられている時代は第1次世界大戦終了後の1919年から2008年の金融危機以降まで。好景気を謳歌した時代もあったが、不況、失業、インフレを繰り返し、今も大恐慌と並ぶ危機に直面している。問題解決に取り組む経済学者や政治家は、自由市場の価値を重視すべきか、市場への政府の介入を認めるべきか、で大きく分断されてきた。
20世紀の前半に活躍したケインズは不況により悲惨な失業問題を解決するためには、政府が経済を管理し、公共事業などにより総需要を創出すべきだと主張し、経済学にケインズ革命を起こした。主著の『雇用・利子および貨幣の一般理論』は政府の干渉を学問的に正当化するために書かれた。母国英国よりも大恐慌の後の米国で、ニューディール政策を進めるルーズベルト大統領によって採用され、花開いた。その後、米国はケインズ主義の虜となり、1960年代には事実上の完全雇用を達成するまでになった。ケインズの死後、サミュエルソン、ガルブレイスらケインズ経済学を発展させる多くの経済学者を輩出した。
片やハイエク。ケインズより16歳若いオーストリア人で、自由市場は善でそれを制御しようとする試みは悪とするオーストリア学派の経済学を学んだ。1930年代初頭、英国でケインズに対抗する大学に招かれ、ケインズ理論を打ち破る役割を与えられ、ケインズとの論争の火ぶたが切られる。政府の介入は、無駄な生産活動やインフレを招く危険がある。いくら計画を立てようとしても、個人の考えや欲望、希望を知ることはできない。経済社会を構成する無数の個人の意思は、常に変動する価格に反映されているとして価格を重視する考えをとる。自由市場に代わる計画経済は独裁につながる危険があるとして『隷従への道』で警鐘を鳴らす。
戦後、ケインズ主義一色となる中で、一時は忘れられた存在になるが、70年代に経済成長が低い中で失業率とインフレ率が同時に上昇するスタグフレーションの時代を迎え、ケインズ主義に疑問が投げかけられると、再び注目されていく。ノーベル経済学賞を受賞し、サッチャー首相やレーガン大統領の規制緩和による経済改革路線の理論的指導者として蘇る。30年にわたり荒野をさまよったあと、シカゴ大学のフリードマンらモンペルラン会議に結集していたハイエク派の時代が訪れたのだ。経済的自由主義者と呼ばれるようになる。
ところが、2008年の世界的金融危機で、状況はまた変わる。ブッシュ大統領はハイエクの思想を捨て、ケインズ主義を採り入れた。オバマ大統領も巨額の政府借入金を経済に投入した。しかし、これに対しては、保守派からティーパーティー運動など猛烈な反対運動が起きている。自由市場の価値と政府の介入についての対立的主張を巡って、今、1930年代と同様に熾烈な論争が起きているというのだ。
ジャーナリストの著者は、どちらが正しいのだろうかと問い、その解答を求めて、本書の執筆に取り組んだ。その取材の過程で、経済理論はケインズの理論だけと考えていた常識が覆り、ハイエクの業績を見直さざるを得なくなったとしている。
翻って日本である。失われた20年の中で、巨額の財政赤字が積み上がった。小泉内閣時代のように、一時は経済的自由主義によった改革が行われたこともあるが、その後の民主党への政権交代などで目玉の郵政民営化は後戻りした。そして今、安倍政権のもとでケインズ主義が力を増している。日本の経済政策はどうあるべきなのか。本書はこうした問題を考えるうえで、格好の手掛かりを与えてくれる。
(川端久雄〈マール編集委員、日本記者クラブ会員〉)
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