これは、あるコーポレートの経営企画部次長が、様々なコーポレートアジェンダに携わり、そして経営と現場の間で葛藤しながら、自社におけるグローバル経営の在り方を模索するストーリーである。
意味のない計画
「こんなことはありえるんだろうか…」
木村は、ある資料を眺めながら、思わずつぶやいた。
「そうですね、まさかこんなことが許されているなんて…」
同じ資料を手にしている山本も、同じような感想を漏らした。
二人が見ているのは、サクラ・マネジメント・サービス株式会社(略称、SMS)の事業計画と事業報告書だった。SMSは、サクラ電機の人事・総務関連オペレーションを担う子会社だ。給与計算のような事務代行から構内の警備や社内便の運用に至るまで多様な業務を日本国内の各拠点で提供しているシェアードサービスだった。
「5年連続で計画未達だなんて、もはや事業計画を立てている意味がないですよね」
山本が言うように、SMSの事業計画は、未達の状態が続いていた。毎年の事業計画ではコスト削減目標を立てている。一方で、事業報告書ではその年度の様々な取り組み実績が記載されているものの、よく読んでみると事業計画の目標は全く達成されていないことが分かった。また、その取り組み実績も、同じようなことが毎年書かれており、実際には何も進んでいないように思われた。
「こんな状況、事業部門だったら、トップが交代させられるか、場合によっては撤退や売却の検討指示が出てもおかしくないはずだ」
木村は、怒りにも似た感情が湧いてきた。事業部門は、毎年の事業計画を達成するため、必死になって売上拡大やコスト削減に取り組んでいる。企業活動の目的として収益の最大化を目指す以上、それは当然の感覚と思っていた。しかし、それとはまったく異なる感覚が、ここには存在している。本社部門とのやり取りから分かっていたことではあったが、一つのサービス会社として独自のP/Lを持っているケースでも全く同じ状況を目の当たりにすると、改めて本社と現場の乖離を感じざるを得なかった。
「そういえば、前に社内便で書類を送ろうとしましたが、SMSの担当者がすごく不愛想だった記憶があります。サービスが良いとは言えないですよね…」
山本がぼやく。木村も同意見だった。実際のユーザーとしての感覚ではSMSのサービスは高品質だとは思えない。各拠点はSMSのサービスを使うことが前提なので、SMSからすれば「仕事がある」ことが当たり前であり、サービスを継続利用してもらうために顧客満足を高めるというような発想が全くないのだろう。
「この非常識を抜本的に変えるには、内向き志向からの脱却が必要だろう。外部パートナーとの協業、『外部化』を基本線として部門と交渉していこう」
木村は決意を固めるように言った。
「はい、そうですね。世の中のトレンドを見ても、それが妥当だと思います」
山本はそう言いながら、別の資料を木村に見せた。それは、他社がSMSと類似のサービスを有する子会社を「外部化」している事例を調査したものだった。
「おお、よくまとめてくれたな。そうか、世の中はこれだけ進んでいるんだな」
他社には、アウトソーシング会社から人材サービス会社まで、多様な外部パートナーとの協業事例があった。木村は、篠山から教えてもらうまで外部化の手法を知らなかった。きちんとアンテナを張っておかないと、世の中のトレンドから取り残されてしまうのだと危機感を新たにした。
木村と山本は、毎年の事業計画未達の実態、他社の外部化事例を取りまとめ、SMSを管掌する人事総務部の部長である小牧琢也のアポイントを取った。
できない理由
「なかなか手厳しいご評価ですねえ…」
木村が過去の事業計画を分析した結果を示すと、人事総務部長の小牧は、何とも言えない表情で、何とも言えない反応をした。
木村は「本社の人は、なぜ同じような表情になっていくのだろう」と不思議に感じた。先日「再戦」した品質統括部長の渡辺は、常に張り付いたような笑顔を浮かべている男だった。小牧はそれほどあからさまではないが、それでも、いまひとつ考えが読み取りづらい表情をする男だ。
本社という組織が彼らをそうさせるのだろうか。自らの部門のテリトリーと予算を守るために内向きな政治ばかり考えていると、大志やビジョンが失われ、その眼から輝きが失われてしまうのかもしれない。「自分自身はそうはなりたくないものだ」と木村は思った。
「しかしですね、SMSもなかなか厳しい経営を強いられているんですよ」
小牧は言葉を続けた。木村は我に返って、小牧に質問した。
「厳しい経営、と言いますと?」
小牧は「ふう…」とため息をつきながら言う。
「この状況をご理解いただくには、SMSの位置づけをきちんとお伝えしたほうが良いかもしれませんね」
木村は「何の講釈を聞かされるのだろう」と心の中で思いながら、「お願いします」と答えた。
「SMSは、ご存じの通り、人事・総務関連のシェアードサービス子会社です。しかし、同時にグループの人材活用において大事な会社でもあるんですよ」
小牧は続ける。
「SMSには、一定の年齢でサクラ電機から移ってきて、活躍いただいている方がたくさんいます。つまり、すべての従業員にサクラ電機グループで働き続けていただくためにSMSはとても重要な位置づけにあるんです」
小牧は困ったような表情を浮かべて言う。
「事業本部からは、オペレーションのコスト削減を求められます。一方で、こういった方々の働く機会をきちんと確保し続けなければならない。毎年の事業計画と実績は、このジレンマの結果であるとご理解いただきたいですね」
要は、SMSはグループ内の「雇用の受け皿」になっているから、事業計画が未達でも仕方がないという理屈だ。たしかに一理あるかも知れないが、それはサクラ電機グループに閉じた世界での議論を前提としているからだろう。従業員にとってもそれが幸せなのかは疑問だ。これこそまさに外部化の活用余地があると考えた木村は、小牧の説明が一段落すると切り出した。
検討するための検討
「ご説明ありがとうございます。SMSの置かれた難しい状況が非常によく理解できました」
木村は続ける。
「しかし、思うように効率化施策が進まず、事業計画も未達が続いている状況はやはり健全とは言えないでしょう。従業員の雇用機会はとても重要だと思いますが、そのような会社では、存分に活躍いただくのが難しいのではないかとも感じます」
小牧がむっとした表情をするのを見ながら、木村は更に続ける。
「もしそのような状況であれば、外部パートナーの力を借りてはどうでしょうか。彼らのノウハウで効率化を進めることができますし、彼らのネットワークがあれば、従業員の雇用・活躍機会もより拡がるのではないでしょうか。実際に、他社ではこのように外部パートナーとの協業を進めている事例が多くあります」
木村は山本が調査してくれた他社の事例を小牧に説明した。また、最後に「今回の本社組織改革では、『良い外部パートナーが見つかるようであれば、積極的に外部化を進めるように』との全社の方針です」と経営層からの要請を付け加えることも忘れなかった。
「外部化ですか…」
木村の言葉を受けた小牧は、またしても何とも言えない反応をする。決して賛同はしないが、経営層からの要請がある以上、否定もできないといった様子だ。木村は「どこまでも煮え切らない男だ」と苛々する気持ちを抑えながら、小牧の次の言葉を待った。
「もちろんグループの方針もありますし、SMSをより良い会社にするためには、色々な手段を考えないといけないですね」
小牧のやや前向きな言葉に木村が少し期待を持つと、小牧は続ける。
「ですが、本当に外部パートナーとの協業がSMSにとって良いことなのか。具体的な検討を進める腹決めはできないところです」
そして、小牧なりの「落としどころ」を提案してきた。それは、木村が想像だにしない言葉であった。
「そこで、どうでしょう。まずは外部化を具体的に検討するかどうかを決めるための検討として、色々と勉強させていただくという形にできませんか」
次の一手
「『検討するための検討』って何だよ…初めて聞く言葉でびっくりしたよ」
小牧との打ち合わせを終え、経営企画部の執務室に戻った木村は、ぐったりとしながら言った。
「まあ、でも完全否定されないだけよかったじゃないですか」
山本がフォローする。部下の冷静な言葉に、木村も落ち着きを取り戻しながら言う。
「たしかにそうだ。でも、彼らに腹決めをさせるには、事実と他社の事例を突きつけるだけでは足りないということだ」
木村は考える。どうすればもっと説得力を持って外部化の有効性を示せるだろうか。必ずしも個々の業務に関する専門知識があるわけではない自分たちだけでは、これ以上の深い提案は難しい。あまり費用も時間もかけたくはない。
「誰か詳しい人に素直に聞きたいですね。どうしたらいいでしょうかって」
山本の素朴な提案に、木村はうなずく。
「たしかに、それがいいかもしれない。いくつかのアウトソーシング会社に基礎的な情報を開示して、初期的な提案をもらってみようか。最終的に協業につながる可能性があれば、彼も前向きに協力してくれるだろう」
「いいですね。でも、どの会社から提案をもらうんですか?」
山本の疑問に、木村は答える。
「その辺りのネットワークを持っているヤツには心当たりがあってね」
木村は「また借りを作ることになるな」と思いながら、同期の篠山にアウトソーシング会社の紹介を依頼することにした。