【登場人物】
- サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 部長
堀越 一郎 - サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 次長
木村 遼太 - サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 スタッフ
山本 朝子 - Sakura Asia Pacific Planning Group Manager
中田 優紀
(前回までのあらすじ)
サクラ電機の本社経営企画部に配属された木村遼太は、地域統括会社が主導する東南アジア子会社のガバナンス改革プロジェクトを本社の立場から支援することになった。
各社へのヒアリングを終えた木村たちは、ヒアリング結果を踏まえた新たなプロジェクトアプローチを各社マネジメントに提案するワークショップへ臨む。
これは、あるコーポレートの経営企画部次長が、様々なコーポレートアジェンダに携わり、そして経営と現場の間で葛藤しながら、自社におけるグローバル経営の在り方を模索するストーリーである。
ワークショップの開始
Sakura Asia Pacificにある会議室で、ワークショップが始まろうとしていた。木村は、プレゼンテーション用のスクリーンの前に立ち、会議室の様子を改めて眺めた。
奇しくも、前回のキックオフミーティングと同じ会議室である。長方形に連ねられた長机、そこに座る東南アジア子会社の社長や主要経営陣の顔ぶれも殆ど変わらない。
本社からの「お目付け役」として軽い気持ちで臨んだキックオフミーティングで、各社から思わぬ反感を買ってしまった。そこから約1カ月半。中田・山本とともに各社を行脚してヒアリングを行い、新たなプロジェクトアプローチを作り上げた。目の前の光景は1カ月半前と同じように見えるが、サクラ電機グループの東南アジアにおけるオペレーションの状況への理解、そしてそれに対する自分の考え・想いは大きく変わった。
「思い切り暴れてこい!」
羽田空港で堀越からもらったメールの内容を思い返しながら、大きく息を吸って、木村はプレゼンテーションを開始した。
「皆さん、お忙しいところお集り頂き、ありがとうございます。本日は、東南アジアにおけるガバナンス強化を目的としたオペレーション・ITシステム統合のアプローチについて、この1カ月半で皆さんからお聞きしたご意見を踏まえて取りまとめましたので、その内容を議論させて頂きたいと思います」
この1週間、会議の直前ギリギリまで、中田・山本と侃々諤々の議論をしながら作り上げた資料に基づき、木村はプレゼンテーションを進めていく。
山本の発案がきっかけで作成した「会議のグランドルール」も、内心気恥ずかしく思いながら説明したが、参加者からは好意的に受け止められた。
各社の概要オペレーションフローと課題、そしてグループで統合すべきオペレーション・ITシステムの領域、グループ全体でのコストインパクトまで説明したところで、木村は一呼吸置き、参加者の意見を伺うことにした。
「テーブルに乗せる」ことの価値
「説明ありがとう、木村さん」
第一声は、東南アジア地域の販売統括会社の社長であった。ローカル人材だがサクラ電機での在籍が長く、現地では「長老」のような立場にある人物だ。
「私たちは同じサクラ電機グループにいながら、このような形でお互いのオペレーション上の課題を詳細に共有することをしてこなかった。これらの課題が見えるようになっただけでも、大きな進歩ではないかと思う」
木村はこれを聞いて安堵した。各社はほぼ個社完結で運営されており、お互いのオペレーションをあまり知らないであろうとの理解の下、課題やリスクを共通の目線で並べることで議論を促していくという狙いは当たったようだ。
実際に、このコメントを皮切りに、特にローカル人材を中心に「このような課題は、当社にもたしかにある」、「このリスクに関しては、当社ではこのように対応している」、「ということは、オペレーションの統合には意義があるかも知れない」といった意見が活発に出始めた。数年前に買収した子会社でありローカルの安価なオペレーション・ITシステムを構築しているOmega Electronicsからの参加者に至っては「そもそもこのような煩雑なオペレーションが存在しているのは、日本人出向者が現地のビジネスを十分に理解しておらず、その報告・説明の手間がかかっているからではないか」といった率直な意見が飛び出し、日本人出向者の参加者が苦笑する場面もあった(ちなみに、木村自身は、この意見に心の中で頷いた)。
その後も30分近く活発な議論が行われた。そして、議論の結果として、木村たちの提案通り、①統合の難易度が高くなく各社が簡単に相乗りできそうなオペレーションの共通化、②本丸であるオペレーション・ITシステム統合の一部会社でのパイロット導入という2本柱のイニシアチブを推進していくという大きな方向性が合意された。
これを受け、木村はプレゼンテーションを先に進めることにした。
総論と各論
次のアジェンダは、各イニシアチブの各社へのロールアウトのスケジュールである。事前に検討した対象会社の優先順位について、木村はプレゼンテーションを行った。前半の議論が盛り上がったこともあり、自然に説明も滑らかになっていく。
しかし、ロールアウトのスケジュールを示したスライドが投影されると、会議室の空気がふっと止まったように木村は感じた。
参加者に目を向けると、皆、身を乗り出し、目を凝らして自社へのロールアウトの時期がいつであるかを確認しているようだった。そして、パイロットを含む初期のフェーズに位置付けられている会社からの参加者は、難しい表情をしている。反対に、後半のフェーズとなった会社からの参加者は安堵したように椅子に深くもたれかかっている。木村は、不穏な空気を感じた。
しばらくの空白があった後、パイロットフェーズに位置付けられた製造会社の日本人社長が声を発した。
「いや、木村さん、先ほど議論したようにこの取組にはとても賛同するんだけど、順番は相談できないかな。ほら、今年は本社からの監査が入る予定もあってさ、ちょっとドタバタしてしまうから…」
つまり、自分たちが先行導入するのはリスクが大きいので様子見したいということだ。「総論賛成・各論反対」の様相である。
同じくパイロットフェーズに位置付けられた販売統括会社の長老も、先ほどは議論を先導した立場もあってやや気まずそうな、だが渋い表情でコメントする。
「一会社の責任者という立場からすると、先行して導入する立場になることには慎重にならざるを得ない…」
長老は続ける。
「また、一方では複数のフェーズに分けて導入を進めていくため、グループ全体としては数カ年の長いプロジェクトになる。これを見ると、果たして本当にやり切れるのかどうか…」
これらを皮切りに、初期のフェーズに位置付けられた会社の参加者からは、前半の議論とは一転して後ろ向きの意見がぱらぱらと続いて出てきた。他方、後半のフェーズとなった会社の参加者は、余計なことを言うと自分たちが初期のフェーズに移動させられてしまうと思っているのか、スライドを見て以降、ほとんど言葉を発しない。
停滞した会議室の空気が、徐々に濁りを帯び始めていた。
グループという主語への転換
木村は、「やはり一筋縄ではいかないな…」と前半の議論の盛り上がりでやや油断したことを自戒したが、すぐにこの状況をいかに打開するかを考え始めた。
本社経営企画部に配属された直後、木村は上司である堀越に対し、「グローバル経営の確立」がサクラ電機の課題であると言った。その時は、飽くまで論理的にそう思っていただけであった。しかし、それから現地の状況を見聞きし、多様な歴史と経緯を持つ各子会社を「サクラ電機グループ」として束ねることの現実的な難しさをよく理解するとともに、その必要性について実感を持った確信を強めていた。それこそが、この1カ月半で自分の中に生じた変化であり、想いである。そして、この場において、その視点から語れるのは本社の立場にある自分しかいない。
「ご意見ありがとうございます。たしかに、先行導入頂く会社の皆さんに大きな負担をおかけしてしまいます。また、全体として非常に大きな時間がかかることも事実です」
木村は話し始めた。
「しかし、せっかく今日この場で我々が抱える課題やリスクを共有できた中、今、一歩を踏み出せなければ、次に変わるチャンスはあるのでしょうか?5年後・10年後も今と変わらないままになってしまうのではないでしょうか?今日は“サクラ電機グループ全体の計画と利益”を“自分事”として考える場にすることを会議の冒頭に確認させて頂きました。今こそ“サクラ電機グループ”として、どのようにすれば今から変われるかを議論させてもらえないでしょうか?」
木村は、自らの思いの丈を率直に述べた。おそらく参加者は、論理的にはこの取組を進めるべきことは理解してくれている。しかし、実際の導入における長い期間において、ただでさえ現業を抱える各社に追加の負担がかかることは事実である。その状況をよく理解したからこそ、木村は、「サクラ電機グループ」という主語で、参加者たちに一歩踏み出してくれることを真摯に求めた。
木村の言葉を受けて参加者たちが考え込んでいる中、その一人が声を上げた。
「木村さん、ありがとうございます。ぜひ、私の会社をパイロット導入の対象としてください」
ソリューションセールス子会社の管理部門担当VPである。先日のヒアリングの窓口であり、今日も、社長に帯同して参加していた。
「ヒアリングでもお話しましたが、当社の成長戦略を鑑みると、今からしっかりしたオペレーション・ITシステム基盤を作っておきたい意向があります。また、前職のグローバル企業での経験から、導入における様々な設計・移行においてもお役に立てると思います」
彼女は加えて言う。
「皆さん、私の経験から言うと、こういったガバナンスやオペレーションの変革には“近道”はありません。いずれにしても苦労や痛みを伴うものです。ですが、木村さんの言うように、今変わらなければ、我々サクラ電機グループはグローバルの競合には勝てません。ぜひ、皆で力を合わせて進めていきましょう」
また、これに続いて木村の隣に座っていた中田が言った。
「非常に長い導入期間がかかるという点については、私自身がプロジェクトマネジャーをしっかりと務め、運用開始までしっかりと全体を見届けるようにします」
これらの言葉を受け、販売統括会社の長老が答えた。
「3人とも、ありがとう。現実的なスケジュールの話になって、考えが一会社の利害に寄ってしまったようだ。たしかに、今変わらなければ、いつまでも変われるとは思えない。ぜひ、前向きに導入の順番とそのためのプロジェクトチーム体制を考えましょう。皆さん、どうでしょう?」
長老のこの言葉を受けて、参加者たちも納得したようである。製造会社の日本人社長も「うん、相談しようね…」と言いつつ、逃げ切れないと諦めたようだ。
「皆さん、ありがとうございます。それでは、残りの時間で実際の導入スタートに向けたアクションアイテムを整理していきましょう…」
再び前向きになった会議室の空気を感じながら木村は会議をラップアップし、オペレーション・ITシステム統合の具体的な推進への合意を取り付けたのであった。
ささやかな打ち上げ
「木村さん、今日まで本当にありがとうございました。キックオフミーティングではどうなることかと思いましたが、今日のワークショップで何とか進めていけることになって良かったです」
会議を終えた木村・中田・山本の3人は、堀越が勧めていた店で、ビールで簡単な祝杯をあげていた。テーブルにはチリクラブがどっさりと置かれている。山本は、手が汚れないようにビニール手袋をもらえないかという店員との交渉に苦戦しているようだった。
そんな山本の姿を横目に見ながら、中田は、何とかプロジェクトを前に進められ、地域統括会社としての面目を保てたことからとても安心した表情を浮かべていた。
「いえいえ、中田さんこそお疲れ様でした。それにしても、今日、本件のプロジェクトマネジャーを最後まで務めるとおっしゃっていましたけど、あれは大丈夫なんですか?」
木村は中田からの感謝に答えつつ、会議中の中田の言葉に対する質問をぶつけた。
「実は、上司と相談して、本件のプロジェクトマネジャーに専念することを調整しているんです。ヒアリング期間中に、マレーシアのホテルで皆さんとディスカッションしたことがあったでしょう。あの時から、やっぱり自分自身がしっかりコミットしてやらないといけないな、と強く思うようになりまして」
木村は、中田の強いコミットメントに驚きながらも、大変心強く思った。
「あ、とは言っても、これでプロジェクトが走り出すからって、本社からも見捨てないでくださいね!」
中田は慌てて付け足した。
「もちろんです。具体的な検討は、中田さんとローカルの方々で進めて頂くことにはなるでしょうが、本社からも引き続き、できる限りのサポートはさせて頂きますよ」
今回のワークショップで何かが終わったわけではなく、むしろ長い改革の旅路のスタートに過ぎない。しかし、この1カ月半の経験から、木村はサクラ電機グループにおける「本社」の役割を深く考えさせられることになった。事業的にも地理的にも大きく広がるサクラ電機グループにおいて、「グループ経営」というものを考え、同時に、それを画餅化させずに現場につなげていくことはとてつもなく難しい。今回は限られたプロジェクトの立ち上げであったが、おそらくこれ以外にも様々なテーマが山積している。日本では上司の堀越が「次に何をやらせようか」と手ぐすね引いて待っているのだろう。
木村は、そんな達成感と不安の入り混じった複雑な気分になりながら、「とはいえ、今日くらいは少し息抜きしても罰は当たらないだろう」と思い、中田・山本とともにもう1本ビールを注文した。
(次号へ続く)
■筆者プロフィール■
伊藤 爵宏(いとう たかひろ)
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 シニアマネジャー
製造業を中心に、バイサイドディールにおけるビジネスアドバイザリー、セルサイドディールの構想・実行、PMIにおける統合事務局、グループ子会社の再編構想等、M&A・組織再編全般にアドバイザリー経験を有す。
近年では、日本企業のグローバル経営力強化に向け、グローバル本社・地域統括組織におけるミッション・機能の再定義から組織再編の構想・実行に至る機能・組織変革案件に多数従事している。