これは、あるコーポレートの経営企画部次長が、様々なコーポレートアジェンダに携わり、そして経営と現場の間で葛藤しながら、自社におけるグローバル経営の在り方を模索するストーリーである。
反撃の狼煙
篠山とのランチから数週間後、木村は山本とともに、ある会議に向かって本社の廊下を歩いていた。
「ついに本社組織改革のリスタートを切ってから、初めての部門との会議ですね」
山本が緊張の表情を浮かべながら木村に話しかける。
「そうだな」
木村は相槌を打ちながら、リスタートに向けた準備を心の中で振り返った。
前回、各本社部門に対して機能の仕分けと強化・効率化の検討を依頼した際には、事業本部からの本社に対する意見・要望をインプットとして提供しながら、各本社部門に対して自主的な検討を促した。しかし、自らの「城」を守る意向の強い各部門からは、ほぼ現状維持の回答しかなく、この検討は事実上、失敗に終わったのだった。
これに対して、今回のリスタートにあたって2つの新しい「武器」を準備した。
1つは、本社部門として有すべき「コーポレート機能の定義」だ。すなわち、本社は、グループ戦略・ポートフォリオ管理、経営資源管理・配分、上場・法人維持、先行投資、その他上場企業として最低限求められる機能といった「事業横断かつ中長期視点でのグループ企業価値向上を担う機能」に特化していくべきとの指針を定めることである。そして、これを社長に報告してそのお墨付きを得ていた。
2つ目は、「外部化」だ。これは同期の篠山からヒントをもらったもので、機能子会社を社外のパートナーと合弁会社化することで、自前では実現できない変革を促すものであった。これについては、コーポレート機能以外の残る機能を抜本的に効率化する手法として、積極活用していくことを想定していた。
木村はこれらを盛り込んだ新たな本社組織改革のガイドラインを策定し、堀越部長らの承認を得た上で、各本社部門に対して発信したのであった。
これは、前回は良いように言いくるめられてしまった本社部門に対する木村たちの「反撃の狼煙」であった。
「今度こそ上手くいくといいな。頑張ろう」
回想から現在へと意識を戻した木村は、山本に対して激励の言葉をかけた。
「今の言葉、自分に対して言ってません?」
山本は笑いながら言った。木村は「相変わらず失礼な奴だな…」と言いかけたが、その冗談も、山本自身の緊張をほぐすためのものだろうと推察し、その言葉を飲み込んで、目の前の会議室の扉を開けた。
再会
「お忙しいところ、度々すみませんねえ」
会議室に入ると、取り繕ったような笑顔の男が声をかけてきた。
その男は、品質統括部の渡辺部長。前回の本社組織改革で、木村たちが言いくるめられてしまった相手の一人だ。この男は、基本的に裏での根回しを徹底することで立ち回るタイプなのだろう。今回も新たなガイドラインが出るや否や、木村たちに対して個別に会議の実施を依頼してきたのだった。おそらく今回も色々な理由をつけて、検討をうやむやにしようとしているのだろう。
木村は、相手が言ってきそうなことと、それに対する反論を頭の中でシミュレーションしながら、渡辺のあいさつに答えた。
「本社組織の改革について、新たなガイドラインを出されたんですね。いろいろな部門に対して、改めて説明と検討依頼をするのも大変でしょう。堀越さんからの指示ですか?経営企画部の皆さんの苦労は、察するに余りありますなあ」
張り付いたような笑顔のまま、渡辺が言う。これは「何度もガイドラインを出して手間をかけるな」という不満を、皮肉を込めて言っているのだろう。回りくどい男だと心の中で思いながら、木村も笑顔を作って答える。
「いえいえ、前回我々からご提示したガイドラインにあいまいな部分があり、各部門の皆さまに本質的な検討をしていただくまでに至らなかったので、今回、ガイドラインを改定して再度発信させていただくことになりました。渡辺部長をはじめ、各部門の皆さまには二度手間をかけてしまって大変申し訳ないのですが、それだけ経営層も注目している取り組みですので、ぜひともご検討をお願いいたします」
精一杯言葉を飾りながら、「前回の各部門の検討が不十分だったので、経営層が怒っているぞ」という趣旨を伝える。
渡辺は「経営層」という言葉に少し反応を示したように見えたが、すぐに変わらない笑顔に戻って言う。
「そこなんですけどね、我が部門としても、もちろんご指示に従って前向きに色々と検討したいと思っておるんです。ですが、前回もお話させていただいたように、我が部は『ものづくり企業』としてのサクラ電機の信頼の根幹に係わる部分を担っております。その意味で、グループに大きな損失をもたらすようなリスクのある機能配置は望まれないと前回もご理解をいただいたと思っておりまして…」
前回の回答から何も変えるつもりはないという意図だろう。木村は、まずは相手の主張に対して賛同を示した。
「おっしゃる通り、皆さまの部門が担う役割の重要性に関しては、変わりないものと我々も理解しております」
そして、一息おいて、反論を始めた。
再戦
「しかしながら、今回、我々は改めて本社が強化すべき『コーポレート機能』を定義いたしました。これに基づいて、今まで以上に機能のメリハリをつけていくべきと考えており、皆さまにもその視点で改めて機能の仕分けを再考いただきたいと思っています」
「その定義なんですけどね…」
渡辺は笑顔をゆがめながら、手元の資料(おそらく『コーポレート機能』の定義だろう)を一瞥しながら言う。
「この定義はやや一方的に押し付けられてしまった感があり、我々としては困ってしまっておりましてね。何を基に定義されているのかと」
木村は、読み通りだと思いながら答える。
「この機能定義は、グローバル企業を含めた複数の企業のコーポレートを研究した上で定義したもので…」
木村が話している途中で、渡辺は「ここがチャンス」とばかりに言葉をはさむ。
「いや、他社の事例はそうでも、それが当社にとって適しているかどうかは…」
木村は言葉を続ける。
「また、鳥居社長、竹野内CFO、上山役員をはじめとした経営層とも議論し、当社に求められる機能としてご承認いただいたものです」
鳥居社長の名前に、渡辺がぐっと怯んだ。その様子を見て、木村は畳みかける。
「ですので、これはサクラ電機グループとしての基本方針になります」
渡辺が言葉に詰まっている様子を見ながら、一息おいて木村は続けた。
「もちろん、これが唯一絶対の解ではないことは我々も理解しております。ですので、もしこの定義とは異なる機能を本社として保持していきたいとお考えになられるのであれば、ぜひその理由とともにご回答いただければ、我々も経営層に理解を得られないか、答申してみるようにいたします」
これが木村の作戦だった。前回は、渡辺部長の「もし機能の仕分けによって何らかの品質事故が起き、我が社の大きな損失につながったとき、その責任はとれるのか?」との問いに答えられなかった。木村が説明責任を負わされた形である。しかし、今回は反対に「これが会社の方針だが、もし見解の相違があればその理由を教えてほしい」と相手に対して問い、説明責任を与えた。しかも、このような手合いは権威に弱い。社長を含めた経営層からのお墨付きがあることを示し、その説明責任の所在をより明確に示した。
木村は、最後のダメ押しで付け加える。
「例えば、皆さまの部門において、グループの品質基準を策定する機能は、まさに上場企業としての信頼を維持するために必要な『コーポレート機能』と捉えられようかと思います。一方で、それ以外にも各事業本部へのサポート機能が多く存在しており、実態としては各事業本部から固定費的に費用を徴収しているようです。これらは、各事業本部に機能を移管して完結させるか、シェアードサービスとして対価設計して運営する形が方針に則しているものと考えています」
前回の検討依頼により、木村たちの手元には、各部門の業務明細が集まっていた。そのため、木村たちは、各部門を客観的にガイドラインに当てはめるとどのような機能配置になるか、事前に仮説を立てることができた。煙に巻こうとする部門があれば、具体的な論点を突き付ける準備をしていたのだ。これは、一度失敗したことでの怪我の功名だった。
木村に畳みかけられた渡辺は、笑顔が引きつっていた。
「うん、なるほどね。会社の方針はよく理解できました。ありがとう。ぜひ皆さんのご期待に応えられるように再検討してみます。ぜひ、また個別に相談させてくださいね…」
含みを持たせた返答ではあったが、渡辺はこの場で木村たちを丸め込むことは諦めたようだった。会議を終えて木村たちが会議室を出た後も、前回のような笑い声は聞こえない。今回はおそらく「ゼロ回答」ということはないだろう。
初戦を終えて
「いやーやりましたね!」
経営企画部の執務室に戻ると、山本がはしゃいで言った。
「うん、ひとまず初戦は乗り越えたな」
緊張が解けた木村は、どさっと椅子に崩れ落ちながら言った。
「それにしても、社長の名前とか会社の方針とか、権威を笠に着たような物言いばかりしていると、自分がすごく政治的な動き方をする人間になってきたような気がするよ…」
「ははは、それも会社を変えるためには必要なスキルだ」
木村のボヤキを聞きつけた堀越が笑いながら声をかけてきた。
「堀越部長、いたんですか」
「俺だって、戦地に放り込んだ部下が無事に帰還するのを心待ちにしてたんだぞ?」
堀越は冗談めかして言う。
「ひとまずはお疲れ様。まだまだ先は長いから頑張れよ。じゃ、俺は社長と会議だから」
堀越は木村たちの苦労をねぎらうと同時に発破をかけ、すぐにいなくなってしまった。
「堀越部長の言う通り、まだまだ先は長いな。今後は『外部化』の検討を求める部門も出てくる。外部との合弁会社化は、単なる機能の仕分け以上に抵抗感が強いだろうな…」
心配の尽きない木村だったが、まずは最初のリベンジ成功を祝い、山本とともに熱いコーヒーで乾杯をした。