【登場人物】
- サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 部長
堀越 一郎 - サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 次長
木村 遼太 - サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 スタッフ
山本 朝子 - Sakura Asia Pacific Planning Group Manager
中田 優紀
(前回までのあらすじ)
サクラ電機の本社経営企画部に配属された木村遼太は、地域統括会社が主導する東南アジア子会社のガバナンス改革プロジェクトを本社の立場から支援することになった。
キックオフミーティングにて、各社を個別訪問してヒアリングを実施することを約束した木村は、日本での準備期間を終え、最初の会社でのヒアリングを開始した。
これは、あるコーポレートの経営企画部次長が、様々なコーポレートアジェンダに携わり、そして経営と現場の間で葛藤しながら、自社におけるグローバル経営の在り方を模索するストーリーである。
思わぬ退席
木村・山本・中田の3人は、クアラルンプールにある製造子会社の薄暗い会議室で、子会社の社長および担当者と向かい合い、ミーティングを開始した。冒頭は、木村が準備してきた資料を説明する。東南アジア子会社のガバナンス改革プロジェクトの趣旨を全社的な視点から改めて丁寧に説明するとともに、このヒアリングを通じて、各社のオペレーション上の困りごとの解決に資する施策を導出していきたい旨を強調した。
目の前では、日本人の社長が会議室に入ってきた時から変わらぬ笑みを日焼け顔に浮かべている。現地社員たちは時々ひそひそと会話をしながら木村の説明に耳を傾けている。
木村が一通りの説明を終え、それまでの内容に疑問点がないかを確認すると、社長が口を開いた。
「なるほど。改めて本プロジェクトの趣旨をご説明頂き、よく理解できました。私がこの会社に赴任して1年経ちますが、ご指摘の通り様々なガバナンス上の問題を抱えているのも事実です。ぜひ今回の取り組みを通じてその辺りも改善していきたいですね」
社長は日本語で話しており、隣に座っている現地社員たちに内容が伝わっていないであろうことは気になったが、趣旨に理解を示してくれたことに木村は少し安堵した。しかし、それに続く社長の発言に木村は耳を疑った。
「ということで、彼女たちの話を色々聞いてやってください。すみません、私はちょっと別の会合がありまして、こちらで失礼しますね」
社長はこう言うと、現地社員に「あー、アイ・ハブ・アナザー・ミーティングね。ソーリー」とぎこちない英語で話し、木村たちが引き留める間もなく会議室を出て行ってしまった。
現地社員は事もなげな様子でいる。おそらくこのような事象は普段からよく起きるのだろう。それとは対照的に、傍らで会議のメモをとっていた山本は驚いて口があんぐりと開いていた。その表情を見て、木村は自らの表情には動揺が出ないように留意し、気を取り直して現地社員を相手にヒアリングを続けることにした。
現地会社の実情
出鼻をくじかれた木村たちであったが、そこからは、準備してきたヒアリング項目に沿って、現地社員との議論を進めていった。
オフィスに入った時からその年季の入った様子を見て薄々予想はしていたが、議論を通じて、この子会社の管理オペレーションにおける課題が具体的に見えてきた。
・ | ITシステムは約20年前に構築したものであり、ランニングコストは僅少であるが、機能の不足が多いこと |
・ | それゆえ、手作業でのデータ処理や重複入力が残存しており、かつそれらが標準化・マニュアル化されていないため、ミス・不正の検知が難しいこと |
・ | 従業員からの各種申請・手続は紙ベースで行われているものが多く、処理の正確性に疑問があるとともに、書類の管理に煩雑性があること |
これらの状況に対して、「ITシステムの刷新を含めたオペレーション水準の向上を図る予定はないか」と木村が現地社員に確認すると、現地社員は言いにくそうに答えた。
「それはそうなんですが…とはいえ、オペレーションは回っていますので、大きな投資やコスト増を伴ってまでこれらを変えることは難しいと考えています」
彼女は続ける。
「それに、現時点でも私たちは伝票の処理や給与の計算といった各種のオペレーションを正確に執り行う職務をきちんと全うしているつもりです」
彼女の答えを聞きながら、木村は「なるほど」と思った。現地のITシステム・オペレーションの水準の低さの背景には、より構造的な課題があるのだと推察できた。
まず、マネジメントとして管理オペレーションに係る投資がしづらい環境にある。この子会社が製造している製品は、近年コモディティ化の波にさらされ、価格競争が激しくなっている。おそらくこの子会社も、日本の事業部門からのコスト低減への圧力がかなり強いのだろうことが想像された。
更に、先ほど出て行ってしまった社長。海外子会社の社長ポジションは日本から派遣され、2~3年で交代するケースが多い。海外経験・マネジメント経験を積むためのローテーションとしては意義があるのであろうが(あの社長も、数年して日本に帰ったら昇進するのだろう)、現地の視点から見ると、任期の間に効果が出ない中長期的な投資に対する承認が得づらいのだろう。
また、現地社員にも、今のオペレーションを変えるインセンティブが生じにくいのではないかと木村は考えた。彼女らは自分たちの会社のオペレーションが「当たり前」だと考えている。木村からすれば日本の10年ほど前の水準のように見えるが、それしかやり方を知らず、足元でオペレーションが回っていれば、何かを変えるキッカケは生まれづらいだろう。むしろ、自動化や標準化による効率化を進めてしまうと、結果的に自分たちの仕事を奪われかねない。
この構造を急激に変えることは難しく、時間をかけてオペレーションモデルの変化を浸透させていかなければならないだろうと、先に待ち受ける困難を予想しながら、木村たちは1社目のヒアリングを終えた。
次なる訪問先
2社目の訪問先は、数年前に新設されたソリューションセールスの子会社であった。
中田の運転する車で移動し、その子会社に到着すると、1社目の製造会社とは打って変わって、真新しいロゴを掲げた美しいオフィスが広がっていた。執務エリアに入ると、そこは仕切りのないオープンな作りで、外から取り込まれる太陽光と豊富な照明により、1社目と同じ地域にあるとは思えないような明るさだった。一部はフリーアドレスなのか、従業員同士が活発に行き来して会話している。山本はきょろきょろと周囲を見回しながら「キレイなオフィスですねえ」と楽しそうに話した。日本の本社オフィスの近くに洒落たコーヒーショップができて喜んでいた彼女のような世代にとって、このような先進的なオフィスは「好物」なのだろう。
会議室に通されると、ほどなく現地社員の女性が入ってきた。工場の制服ではなく、パリッとしたジャケットを羽織っている。
「この会社のヴァイス・プレジデントです。管理部門については私の管掌範囲となりますので、本日のヒアリングは私が担当させて頂きます」
担当VPはなまりのない発音の英語であいさつしてきた。話を聞くと、以前は大手外資系企業で働いており、この子会社の設立に伴って引き抜かれてきたとのことである。
木村はまた、準備してきた資料に基づいて説明を行い、その後に管理オペレーションの実態について担当VPが回答した。1社目とは異なり、事前に回答内容が資料として整理されており、議論はスムーズに進んだ。その内容は以下のようなものであった。
・ | この会社はまだ設立間もなく、事業規模も大きくないため、現在は廉価なローカルパッケージのITシステムを使用してオペレーションを回している |
・ | しかしながら、今後事業規模を拡大するにあたり、今からスケーラビリティのあるオペレーション・ITシステム基盤を作っておきたい意向はあるし、グループからそれらが提供されるのであれば活用したい |
・ | それ以外の管理部門という視点では、小さい会社ゆえ、採用の競争力や従業員教育の充実度に不足感があり、サクラ電機のブランドやノウハウをもっと活用できると、従業員の獲得やリテインに役立つのではないか |
また、担当VPは加えた。
「私の前職では、このクアラルンプールに在アジア子会社のオペレーションを集約して処理するシェアードサービス拠点がありました。サクラ電機のことはまだ全て知っているわけではないですが、同じような拠点はないですよね。我々のようなこれから拡大する会社にとっては、そういったプラットフォームがあると有用だと思うのですが」
難しさばかりが浮き彫りになった1社目とは違い、建設的なアイディアが出てくることに木村は感心していたが、これを聞いて、その背景に納得がいった。
彼女の前職は、日本でも多くの人が知るようないわゆる「グローバルエクセレントカンパニー」と呼ばれる企業である。グローバル化の途上にあるサクラ電機とは違い、グローバル最適でのオペレーションやITシステムの標準化は大きく進んでいるはずだ。彼女はその前職の水準が念頭にあるからこそ、今の自社とサクラ電機の立ち位置・レベルが分かるのであろう。
「非常に有用な議論ができ、感謝します。ぜひあなたの経験・知見に基づく示唆を、これからも提供頂けるとありがたいです」
木村は、彼女のような「外」の視点は、日本でも海外でも内向き志向の強いサクラ電機の変革において重要であることを感じながら、彼女に手厚く謝意を示し、2社目のヒアリングを終えた。
2社へのヒアリングを終えて
2社へのヒアリングを終えた木村たちは、再び中田の運転する車の中にいた。明日はクアラルンプールから離れた地区の拠点でのヒアリングを予定しているため、今日中に移動して現地で前泊する予定である。
車中には、山本がヒアリングの議事録をPCでまとめるタイピング音がパチパチと響いている。それをBGMにしながら、木村は今日の対照的な2社に思いを馳せていた。
同じサクラ電機グループではあるが、その歴史の長さ、事業規模・特性、オペレーションの水準、そこにいる人材など、それぞれの会社は全く異なっている。自分たちが面前するガバナンス改革とは、多様なこれらの会社を、改めて一つのグループとしてまとめることなのだろう。もちろん木村も最初から理屈では分かっていたつもりだが、実際に現地を見ることで、そのリアリティが湧いてきたのであった。
木村がそんなことを思っていると運転席の中田の携帯電話が鳴った。路肩に車を停めて中田が電話に出ると、二言三言交わして電話を切った。
「あの…明日のヒアリングは急きょ延期になったようです」
中田は、困った顔で木村たちに電話の内容を伝えた。
「え?そうなんですか」
木村が驚く傍らで、スケジュールを再調整しなければならないことに気が重いのか、山本が頭を抱えている(もしくは、車中でPC操作をして車酔いしただけかもしれない)。木村はその様子を見ながら、残りの行程でも色々な事件と発見がありそうだと感じた。
(次号へ続く)
■筆者プロフィール■
伊藤 爵宏(いとう たかひろ)
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 シニアマネジャー
製造業を中心に、バイサイドディールにおけるビジネスアドバイザリー、セルサイドディールの構想・実行、PMIにおける統合事務局、グループ子会社の再編構想等、M&A・組織再編全般にアドバイザリー経験を有す。
近年では、日本企業のグローバル経営力強化に向け、グローバル本社・地域統括組織におけるミッション・機能の再定義から組織再編の構想・実行に至る機能・組織変革案件に多数従事している。