【登場人物】
- サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 部長
堀越 一郎 - サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 次長
木村 遼太 - サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 スタッフ
山本 朝子 - Sakura Asia Pacific Planning Group Manager
中田 優紀
(前回までのあらすじ)
サクラ電機の本社経営企画部に配属された木村遼太は、地域統括会社が主導する東南アジア子会社のガバナンス改革プロジェクトを本社の立場から支援することになり、その一環として経営企画部スタッフの山本、地域統括会社の中田とともに各社へのヒアリングを行うことになった。
各社へのヒアリングを終えた木村たちは、ヒアリング結果を踏まえた新たなプロジェクトアプローチの作成に着手していた。
これは、あるコーポレートの経営企画部次長が、様々なコーポレートアジェンダに携わり、そして経営と現場の間で葛藤しながら、自社におけるグローバル経営の在り方を模索するストーリーである。
帰路の空港にて
木村と山本の二人は、チャンギ国際空港のラウンジで、PCの画面に向き合っていた。今日までに、残っていた全てのヒアリング行程を終え、Sakura Asia Pacificのオフィスでラップアップを行った後、シンガポール在住の中田と別れ、2人で日本への帰路につくところであった。
1週間後には、再び東南アジア各社の社長を集めた会議が開かれ、その場で木村たちからガバナンス改革プロジェクトの新たなアプローチを提案することになっている。
会議まで時間がないことから、二人は飛行機を待つ時間を惜しんで、ヒアリング結果の取りまとめとプロジェクトアプローチの骨子の作成を進めていた。木村がプレゼン資料のスライド割りを作りながら、山本と分析・整理のイメージをすり合わせる。深夜便での帰国であったため、既にかなり遅い時刻になっていたが、山本も眠い目をこすりながら、木村からの指示とヒアリングの議事録や各社から収集したデータを突き合せていた。
一通りの骨子と作業分担を作り終えると、搭乗時刻が迫っていた。木村は、ラウンジの冷蔵庫からビールを一瓶取ってきて、乾いた喉に流し込んだ。たまった疲れを少しでも洗い流そうと思ってのことだったが、かえって身体がずっしりと重くなったような気がして少し後悔した。一連の行程をひとまず無事に終えたが、1週間後に会議を控えている中で、まだ解放感というにはほど遠い心境だった。
その後、飛行機に乗り込んだ木村は、会議の夢を見ながら泥のように眠って日本に着いたのであった。
日本での1週間
日本に戻ってからの1週間、木村たちは会議に向けた準備で慌ただしく過ごした。
ヒアリングの結果は、マレーシアのホテルの貸会議室で議論した仮説から大きく外れるものではなかったため、①統合の難易度が高くなく各社が簡単に相乗りできそうなオペレーションの共通化、②本丸であるオペレーションとシステムの統合の限られた会社でのパイロット導入という2本柱でプロジェクトアプローチを構築していった。
一方で、様々な歴史と経緯を持つ各社からの合意を引き出すために、プロジェクトアプローチを導出する根拠として、丹念にファクトを積み上げた分析・整理を提示することに労力をかけた。
まず、今回ヒアリングした範囲のオペレーションのフローを概略的に記載し、そこに各社へのヒアリングで挙がった事項をマッピングした。そして、特に複数の会社で共通的に見られるものをハイライトすることで、地域横断で存在する課題やリスクが浮かび上がるような整理を行った。各社はほぼ個社完結で運営されており、お互いのオペレーションをあまり知らないであろうことがヒアリングで把握できていたため、課題やリスクを共通の目線で並べることで、グループとしての認識の共有化を促進することを狙っていた。
また、各社が簡単に相乗りできそうなオペレーションについては、人材獲得・育成・交流の促進など、前向きなメッセージを強調することで、本プロジェクトによって各社に対する統制・束縛が強化されるという印象ばかりが残らないよう配慮した。
プロジェクトの費用対効果を整理する際にも、工夫をこらした。本プロジェクトは、短期的なオペレーションコストの削減に留まらず、より広範なグループ経営の高度化を目的としていることから、老朽化した各社のITシステムのリプレースにかかる将来コストや、コンプライアンスリスクが顕在化した際の潜在的なネガティブインパクトを可能な限り織り込み、グループとしてのプロジェクトの取り組みと、収支責任を持つ個社の利害が一致するものであることを示すように努めた。
本丸であるオペレーションとシステムの統合におけるパイロット導入会社の優先順位は、課題・ニーズの大きさや拠点の物理的なロケーションといった客観的な判断基準で整理をしながらも、推進主体であるSakura Asia Pacificとのオペレーション上の関係性が深く合意を得やすいところから着手するという、現実的な側面も考慮に含めた。
これらを丹念に整理していくと、会議資料の本編以外に作成されたバックデータは膨大なものとなっていった。木村は、自らの不安に駆られてやり過ぎているのではないかと思う瞬間もあったが、本社の権威を笠に着るのではなく、現地に寄り添わなければ、本プロジェクトが進められないという自らの確信を信じ、連日の作業で悲鳴をあげている山本に頼み込んで準備を進めていった。
そして、一連の内容が固まってくると、木村たちの議題は、次第に会議当日のファシリテーションへと移っていった。
会議のグランドルール
木村たちの懸念は、「どのようにしたら参加者が『サクラ電機グループ』という視点に立ってくれるか」という点であった。いくらヒアリングで丹念に意見を聞いてきたとはいえ、個社完結でオペレーションをしてきた各社が、すぐにグループとしての経営の高度化に向けた意見を出してくれるとは考えづらい。
そのような議論をしていると、山本が冗談めかして言い出した。
「会議室に空席を1つ置いておきます?ほら、どこかの企業で、会議の時は『お客様』の象徴として空席が用意されるみたいな話があるじゃないですか。だから、今回は『グループ』の象徴、みたいな」
山本らしい意見だと木村とテレビ会議越しの中田は思わず少し笑ってしまったが、中田が少し考えてから言った。
「それはさすがにあからさまなパクリだからできないだろうけど、分かりやすく会議の参加の仕方への期待を示すというのは良いかもしれないですね。日本の拠点では会議室に『会議のルール』みたいな張り紙をしていたこともありますよね。『会議は30分以内』とか」
木村もそれに答える。
「たしかに、行動基準みたいなものですね。
PMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)の場面でも、意思決定の拠り所になる『統合憲法』を作ると良いという話を聞いたこともあります。実は、そういったシンプルなグランドルールが大事なのかもしれないですね」
このような議論をしながら、木村たちは会議の冒頭に、以下のような参加者への期待を箇条書きにしたスライドを挿入することにした。
・ | Focus on the big picture: Pay more attention to the plan and interests of Sakura Electronics group as a whole(全体像を見ること:サクラ電機グループ全体の計画と利益を考えましょう) |
・ | Be engaged: Actively ask questions and provide feedback. Your opinions are strongly welcomed(自分事にすること:積極的に質問やフィードバックをください。皆さんの意見を求めています) |
・ | Be open: It is critical that you share your perspective openly. Healthy and lively discussion will be expected(オープンであること:皆さんの視点をオープンに共有頂くことが重要です。健全で活発な議論を期待します) |
・ | Be positive: Respect new ideas from others and explore new possibilities(ポジティブであること:他の参加者の新しいアイディアを尊重し、新たな可能性を探りましょう) |
日本育ちの木村にとっては、やや歯の浮くような内容であったが、これは本社の立場から伝えたほうが望ましい事項だと判断し、会議の冒頭にこれらの「グランドルール」を参加者に共有し、合意を得ることした。
こうして1週間が過ぎ、シンガポールでの会議に発つ前に、木村は上長である堀越に会議資料の内容を共有した。堀越は、自らのアジア駐在経験からいくつか簡単な質問や見解を述べた上で、「うん、わかった」と内容を了承した。
木村は、堀越の反応がやや淡白であるような気がしたが、上長の承認も得られたので、再びシンガポールへ向かうことにした。
堀越からのメール
木村と山本は、シンガポールへ向かう間も、細かなデータの検証など、ギリギリまで会議資料のブラッシュアップを行った。
羽田空港の待合ロビーでも、木村は会議資料を読みながら、気になった個所を山本に質問していた。
「ここのデータは最新の数値に洗い替わっている?」
山本がPCを膝の上に乗せてバックデータを見ながら答える。
「はい、大丈夫です」
木村は続ける。
「ここの記述はどの会社の議事録から引用しているんだっけ?少し表現が違ったようにも思えてきた。それと、この文章は三単現のsが抜けている。あとは…」
山本が慌てて言う。
「ちょ、ちょっと待ってください、一度にできませんって!」
会議の直前まで資料に気になるところが出てくることは常であると木村も分かっていたが、会議が近づいてくるにつれプレッシャーが増し、細かなミスにも焦りが出てくる。
「誤字・脱字は、最後に総ざらいするように言っておいたよな」
大人げないと分かっていながら、思わず小言のような文句が出てしまう。
いつもは鷹揚な山本も、イライラしてため息をつきながらPCをパチパチと叩いている。「それなら自分でやってよ…」と言いたげな様子である。
二人の間に重い空気が流れ始めたとき、PCを見ていた山本が「あ…」と声を上げた。
「どうした、何かあったのか?」
と焦りによる不機嫌さを引きずった声色で木村が反応すると、山本が恥ずかしそうな笑みを浮かべながらPCの画面を木村に向けた。
そこには、たった今受信した堀越からのメールが映されていた。
木村さん、山本さん
シンガポール、気をつけて行ってきてください。
タフな会議になると思いますが、二人が中田さんと考え抜いた内容であれば、きっと現地の皆さんにも伝わるはずです。そして、会議の結果がどのようなものになろうとも、それはサクラ電機をより良く変えていくための大きな一歩になると思います。
思い切り暴れてこい!喧嘩するなよ(笑)
Good Luck!
P.S.
Sakura Asia Pacificのすぐ近くにあるチリクラブの店は、店の外見は汚いけど味は良いので、会議が終わったらぜひ食べてみてください。
堀越
「堀越さん、どこかその辺で私たちのこと見てるんですかね?」
木村も山本の言葉に「本当にそうだな…」と同意した。
心中が見透かされたような上司からのメールに少しばかりの悔しさを感じながらも、木村は胃に重くわだかまっていた焦りやプレッシャーがすっと軽くなるような気がした。底知れぬ、大した上司を持ったものである。
「よし、あと少しだけ確認したいことがあるから、悪いけど、付き合ってもらえる?」
木村は気分を変えて言った。
「分かりました。あ、終わったらチリクラブおごってくださいね」
山本も明るく答える。
こうして、木村は3度目、山本は2度目のアジア出張へと向かった。
(次号へ続く)
■筆者プロフィール■
伊藤 爵宏(いとう たかひろ)
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 シニアマネジャー
製造業を中心に、バイサイドディールにおけるビジネスアドバイザリー、セルサイドディールの構想・実行、PMIにおける統合事務局、グループ子会社の再編構想等、M&A・組織再編全般にアドバイザリー経験を有す。
近年では、日本企業のグローバル経営力強化に向け、グローバル本社・地域統括組織におけるミッション・機能の再定義から組織再編の構想・実行に至る機能・組織変革案件に多数従事している。