[寄稿]

2024年7月号 357号

(2024/06/11)

クロスボーダーM&Aを成功に導くPMI

––––グローバルなオペレーション統合に向けた課題

小林 一郎(一橋大学大学院法学研究科 教授)
  • A,B,C,EXコース
Ⅰ はじめに

 日本企業がグローバルな環境で持続的な成長を遂げるためには、クロスボーダーのM&Aを通じた成長戦略が欠かせない。しかし、実務担当者からの声を拾う限り、日本のグローバル企業は、買収後の実務統合段階であるPost-Merger Integration(PMI)において、必ずしも思い通りの結果を達成できてはいないようである(注1)。法務・コンプライアンスやSDGsに関するバックオフィス業務についていえば、近年サプライチェーン・マネジメントなどの領域で、グローバルベースでの管理体制の構築の重要性が指摘されるようになってきてはいるが、日本のグローバル本社は、グローバルな体制構築において必ずしも主導的な役割を果たしてはいないようである。海外のことは海外に任せ、日本の本社は国内のイシューのみを取り扱う。そのような体制での運用を図る日本のグローバル企業は少なからず存在する。

 筆者は、そのような運用体制に必ずしも問題があるとは考えていない。むしろ、国や地域によって実務慣行は異なるのであるから、それらを一括りにして、企業グループを1つの管理体制に束ねること自体に無理があるのかもしれない。日本企業はクロスボーダーPMIを自由自在に実践できるような環境には置かれていない。日本の法制度はガバナンスや内部統制において、世界のリーダー的な役割を担っているわけでもなく、日本企業の実務体制は必ずしもグローバルベースのスタンダードを牽引しているわけでもない。

 法務、人事、総務などの伝統的な非財務のバックオフィス部門については、対象会社の経営陣の雇用条件の確定、サクセッション・プランの策定、コア人材の雇用条件の設定など経営・人事に関する重要事項などを除いては、伝統的には、必ずしもオペレーションのグローバルな統合が率先して実現されてきたわけではなかった(注2)。PMIにおいても、企業文化の融合や、業務プロセスの見直しは、最も苦労する課題の1つとして取り上げられる(注3)。結果的には、無理な統合は回避した上で、地域や子会社ごとの独立したオペレーションが許容されることが多いように思われる。

 しかし、例えば法務の世界に目を向けると、リーガルリスク・マネジメントは、伝統的な契約審査を中心とした個別対応のステージから、企業の法務オペレーションを制度的に管理していくステージへと進化していく途上にある。最近では、サプライチェーン・マネジメントや経済安全保障の領域で、グローバルベースでの内部統制や管理体制の構築の重要性が広く認識されている。企業が経営戦略の一環としてサステナビリティ課題に取り組むべきことの重要性が語られる(注4)。グローバルベースでの苦情処理制度の設置が求められ、「ビジネスと人権」などの課題について、企業グループ全体による組織的な対応が求められている。いずれも、日本企業が、グローバルなビジネス環境において競争力を発揮するためには避けて通れない課題である。

 では、日本のグローバル企業は、具体的にどの業務領域でグローバルなバックオフィス業務の一元的な管理体制を構築し、どの業務領域を国・地域や事業子会社のオペレーションに委ねていくべきなのであろうか。その際の判断軸となるフィロソフィーとはどのようなものであろうか。

 筆者は、我が国のような、グローバルベースでの実務スタンダードを牽引できていないような環境下にある企業においては、法務、コンプライアンス、サプライチェーン・マネジメント、CSRなどの非財務のバックオフィス業務に関するクロスボーダーのPMIとは、少なくとも短期的には、無理に統合を図ることは避け、海外現場の実務を極力維持・尊重しながらも、同時に最低限の危機管理シナリオに備えた、有事における指揮命令の仕組みを準備しておくことに注力せざるを得ないのであろうと考えている。そして中長期的には、海外対象会社を自社グループの仕組みに統合させていくことのみに固執するのではなく、むしろ日本の本社機能こそが、海外対象会社が実践するベストプラクティスにあわせる形で、自らを変えていくような発想が必要ではないかと考えている。こうしたアプローチは、対象企業を買収企業のオペレーションの中に統合し、シナジーをいかに実現させていくことを中心に論じられてきた伝統的なPMIの姿とはやや趣を異にするものであるといえる(注5)。内部統制の分野でグローバル・スタンダードを牽引できない日本企業は、欧米企業とは異なるアプローチでクロスボーダーPMIに望まざるを得ない(注6)。本稿はかかる問題意識の下、日本企業のバックオフィス業務におけるクロスボーダーPMIのあるべき姿について、特にサプライチェーン・マネジメントの領域にフォーカスをあてながら議論を進めていきたい。

Ⅱ PMIとはどのようなプロセスを指すのか


■筆者プロフィール■

小林 一郎(こばやし・いちろう)小林 一郎(こばやし・いちろう)
1994年東京大学法学部卒業、三菱商事株式会社入社。2003年コロンビア大学ロースクール卒業(LL.M./ Harlen Fiske Stone賞)。三菱商事法務部部長代行等を経て、2022年4月より現職。主な著書として、『日本の契約実務と契約法:日本的契約慣行の研究』(商事法務、2024)、「サプライチェーン・デュー・ディリジェンスと契約管理 :ドイツ企業との比較から見える日本企業の課題」NBL1255・1256号(2023)、「米国における法律業界の構造改革とリーガルテック・法務DXー統合型リーガルサービスへの希求と我が国企業法務への示唆」NBL1243・1244号(2023)、「契約実務におけるリーガルテックの活用とその将来展望:リーガルテックによる契約実務の標準化と契約交渉スタイルの変容」NBL1217・1218号(2022)等。

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