[Webインタビュー]

(2023/06/14)

【第160回】【トラスター・キャピタル・パートナーズ・ジャパン】CITICキャピタル・パートナーズ・ジャパンから社名変更、4号ファンドの組成も

中野 宏信(シニア・マネージング・ディレクター 会長)
伊藤 政宏(同 日本代表)
  • A,B,EXコース
中野宏信 シニア・マネージング・ディレクター 会長(右)と伊藤政宏 同 日本代表

中野宏信 シニア・マネージング・ディレクター 会長(右)と伊藤政宏 同 日本代表


社名変更の背景

―― このほどCITICキャピタル・パートナーズ・ジャパンはトラスター・キャピタル・パートナーズ・ジャパンに社名変更されました。変更の経緯について聞かせてください。

中野 「それをお話するために、CITICグループやCITICキャピタルの歴史等についてご紹介します。

 まずCITICキャピタルが属するCITIC グループは中国政府系金融コングロマリットですが、もともと鄧小平・元主席が1979年に中国経済の改革開放政策を進めるにあたって旗印として作った会社です。そういう意味ではスタート時点から中国でも非常にユニークな存在であったと言えます。政府系でありながら資本主義的な性格が強く、しかも他の中国企業と比べるとグローバルな事業展開をしているのが特色です。

 実際、アセットマネジメント会社であるCITICキャピタルはスタート時からグローバルなビジネス展開をしていまして、まず米国ファンドを組成し、その後CITICキャピタルとして最初のバイアウト・ファンドである日本ファンドを2004年に組成、最後に中国でファンドを組成しました。海外のファンド組成からスタートしたという点でもユニークな存在といえると思います。




■中野 宏信(なかの・ひろのぶ)
1983年東京大学工学部金属工学科卒。83年~88年トヨタ自動車に在籍。90年ペンシルバニア大学経営大学院ウォートン校にて経営学修士(MBA)取得。90年~95年コーポレイトディレクションにて経営コンサルティング業務を行う。95年~96年フォーバル・インターナショナル・テレコミュニケーションズで経営戦略室長。97年~03年アドバンテッジ・パートナーズで国内先駆けのPEファンドの立ち上げに関わる。自ら案件開拓、投資立案を行った更生会社、富士機工電子の更生管財人代理、代表取締役社長を務める。2004年~06年産業再生機構でマネージングディレクターとして支援案件の統括責任者を務める。また、カネボウ、スカイネットアジア航空の社外取締役も務め、2007年CITICキャピタル・パートナーズ・ジャパン(現トラスター・キャピタル・パートナーズ・ジャパン)入社。

■伊藤 政宏(いとう・まさひろ)
東京大学工学部電子情報工学科卒業、同大学院にて電子工学修士を取得。1998年4月ベイン・アンド・カンパニー・ジャパン入社。2004年7月株式会社産業再生機構に出向し、様々なモニタリングおよびデューデリジェンス等に従事。その後、ベイン・アンド・カンパニーに戻り、2006年11月CITICキャピタル・パートナーズ・ジャパン(現トラスター・キャピタル・パートナーズ・ジャパン)入社。

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